人気ブログランキング | 話題のタグを見る

鉛筆一本

◆今日は早朝からセミナーに出席。お題は米国市場への進出について。2時間ほどパネリストの話や質疑応答を聞いた中で、印象に残った点を少々・・・。

◆このようなお題設定があった場合、どうしても避けられないのは、先日までウルグアイで米国とのFTAの可能性があったことについてです。産業界では、まだ「逃した魚」は大きいと思っています。パネリストの一人が面白い喩えをしていました。

◆その話によれば、或る「坊や」の家に、長い間やってきたことの無かった「伯父さん」がふらりと遊びにやって来ました。坊やは他人行儀なまま見ず知らずの伯父さんと接します。自分のお父さんからは伯父さんについてあまり良い話を聞いたことがない中、坊やは伯父さんに玩具屋へと連れて行かされます。ずらりと並んだ玩具を前にして、坊やは「何でもいいから一つ選びなさい」と伯父さん告げられます。坊やは、素直に大好きなものを選べば良かったのですが、どうも自分のお父さんに何を言われるのか心配で仕方がない。ここで坊やが大きな玩具をもらって、自分のお父さんに怒られないものかがどうしても気になるのです。悩んだ挙句に坊やが選んだのは鉛筆1本。伯父さんは「遠慮はいらないんだよ」と念押ししましたが、坊やは「これがいい」と言って譲りませんでした・・・。

◆実際にありそうな話ですが、実はこの話、「坊や」をバスケス大統領、「伯父さん」が米国政府、「お父さん」が国民(与党支持者)、「大きな玩具」がFTA、「鉛筆1本」がTIFA(貿易投資枠組み協定)に見立てています。つまり、米国が条件を大幅に緩めている中で、バスケス大統領はFTAを半ばフリーハンドで選ぶ環境にあったものの、肝心なところで怖気づいてしまい、最後は「鉛筆1本」で満足してしまったというわけです。人によっては、「お父さん」をメルコスールの大国(ブラジル及びアルゼンチン)と置き換える場合もありますが、反米イデオロギーが潜在的に残る与党支持者に見立てる方が正確だと思われます。

◆今年8月、バスケス大統領は、米国とのFTA協議開始を内心決断したと思われた際に使ったフレーズとして、「列車は二度とやってこない」というのがありました。つまり、好機は逃してはいけないと示唆したわけで、ここ辺りで拾い読みすると、米国政府はこの時期からバスケス大統領は本気だと思っていたかもしれません(結局、梯子を外される結果になりますが・・・)。

◆ところが、先ほどの喩えではありませんが、伯父さん(米国)は「長いこと家にやってきたことが無かった」のであって、実は「初めて」やってきたわけではありません。多くのウルグアイ人も含めて忘れかけていることですが、ウルグアイでは軍政時代の1982年から米国との通商関係の強化に向けて協議を重ねており、その結果、米国は1985年にエジプト、ジャマイカ、イスラエル、ウルグアイの4カ国とのFTAに向けて動いた過去があります(その中で実現したのはイスラエルだけでした)。このときも実はウルグアイは、民政化直後等を理由にして、この好機を自ら見逃しています。

◆列車は二度やってきており、その両方を見逃しているのがウルグアイです。1985年の判断以降、ウルグアイは徐々に地域統合路線へと進み、90年代以降はメルコスール重視へと舵を取りをしました。その後、このメルコスールへの傾倒がいつしか呪縛となって、90年代後半から発生したブラジル及びアルゼンチンの経済危機によって、ウルグアイは輸出先を失い、壊滅一歩手前の経済危機に遭遇しました。

◆その失敗の教訓を活かすべく、前政権の後半は、米国を含めた通商の多角化とそれによるメルコスール依存の脱却に力が注がれました。バスケス現政権になっても、表面的にはメルコスール重視とは述べていますが、実際は前政権の経済手法を踏襲して、成功しています。南米左派の影響力拡大等々言われていますが、ウルグアイが一線を引いているのは、このような理由があるためです。そして、今回、ウルグアイは回り道をしたのかもしれませんが、伯父さん(米国)は再びやってきたのであって、坊や(バスケス大統領)はもっと伯父さんを信用すべきだったのかもしれません。

◆ちなみにこの坊や、今のところは「鉛筆1本」で我慢していますが、お父さんの様子を見ながら、時機が来れば「大きな玩具」をもらえるかなとも思っているとか、いないとか・・・。ただ、坊やだけあって、伯父さんの都合(ファスト・トラック期限や民主党が多数派となった米国議会)をあまり気にしていないところが気がかりです。