カテゴリ:ウルグアイを旅する( 11 )

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◆前回ウルグアイにいた時に、日本では出来ないことということで、ウルグアイ国内のワイナリー訪問とエスタンシア(観光牧場)での乗馬にそれなりの時間を費やした。そのような贅沢に手が届いたのも、当時の物価が安かったからだ。その頃の調査によると、世界で最も物価の安い都市のひとつに挙げられていた。

◆再びウルグアイを訪れることになったが、乗馬は妻が妊娠中なので次回以降の楽しみにするとして、ワイナリーについては今回2か所訪問した。一つはBouzaで、もう一つは老舗のJuanicoだった。いずれも古くからやっている家族経営のワイナリーだが、後者の方がステータスが高く、名も知られていた。ウルグアイでの3年間で、Bouzaには一度も訪れたことがなかったが、Juanicoには機会があるたびにいつも出掛けて行った。

◆そんな中で、今回紹介したいのはBouzaである。モンテビデオ中心地から15キロほどのところにある農園を2001年に新たに購入して、ブドウ栽培を開始。生産量は少量であるが、半分以上を輸出向けにした経営を行っている。また、ハイエンドのワインを生産しており、これがそこそこ売れている様子。ただ、値段は45ドルしていたのには驚かされた。3~4年前のウルグアイでそのような価格帯のワインはJuanicoで1~2種類程度あっただけだと記憶しているが、景気が良くなったのだろう。そのような品物を出しても売れるようになっている。

◆Bouzaを紹介する理由は、その比較的新しいワイナリーが非常に手入れが行き届き、観光でモンテビデオにやってきた方々にとっては、週末の午後を過ごすのに最適だからである。上品でお洒落なレストランを備えており、ワインのテイスティングだけではなく、前菜、メイン、デザートなどいずれの料理も堪能できる。レストランからの風景も心落ち着かせるもので、当日は快晴だったから尚更ウルグアイの素晴らしさを再認識させてもらった。

◆結局、ワイナリーには正午に訪れて、17時過ぎまでのんびりと過ごした。途中ワイナリーの見学にも参加でき、ガイドから色々と説明をしてもらった。ワイナリー見学を終えてからは、またレストランに戻り、今後はテラス席からブドウの木々やその手前の手入れの行き届いた芝生を眺めながらコーヒーを味わった。このようにウルグアイの時間の流れを満喫した。

◆モンテビデオの中心地から15分程度で素敵なワイナリーとレストランを一体にして経営されている様子を見て、ウルグアイも景気が良くなったと再認識した。これもモンテビデオから15キロ程度であることと、オーナーの趣味が良いことが相乗効果を発揮した結果だろう。なお、もう一つの訪問先であったJuanicoについても、4年前に訪問した時には似たような大規模な計画が持ち上がっていたが、実現には及んでいなかった。老舗ではあるものも、モンテビデオから35キロ程度となると、さすがに距離を感じた。

◆最後に、Juanicoのワインでお勧めするとすれば、特定の樽から瓶詰をしたというシングルバレルという商品がある(ウィスキーみたいだが)。4年前と比べて値段が倍になってしまったのでお得感はないが、それでも17ドル(ワイナリーよりも空港の免税店の方が安かった)で飲むのであればいい買い物だと思う。あと、ウルグアイのワインを試す場合、今は現地で10ドル周辺で入手できるものであれば、ウルグアイワインのレベルを十分に確認できると思う(やはり4年前と比べてドルベースでおよそ2倍になってしまったが)。一度ウルグアイに訪れることがあれば、是非お試しを。最近のものはまだ試していないが、Juanico、Toscanini、Pisano、Carrauあたりであれば、それほどのハズレはないと思う。
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◆11月18日から22日にかけて、3年半ぶりにウルグアイを訪問しました。滞在中のほとんどがウルグアイらしい真っ青な空に恵まれ、モンテビデオを中心にのんびりと過ごしました。旧友との再会を喜び、思い出の場所を訪れ、これまで知らなかった場所を紹介していただくなど、充実した時間でした。改めまして、一緒に時間を共有したみなさんに感謝です(といっても、ウルグアイ人がほとんどなので、ここで述べてもあまり意味はないのですが…)。

◆3年半で変わったことと、変わっていないことを確認するのが関心の一つでした。03年から続いている経済成長の恩恵はしっかりと出ています。新しい建物や道路が出来たり、建設途中だったりしますし、昔住んでいたあたりの古い家の庭先の修繕が進んでいるなど、少しは人々に余裕が出てきたのかなとも思いました。また、観光客向けには、近郊のワイナリーにお洒落なレストランが出来ているなど、贅沢な時間の過ごし方もできるようになっています。

◆ただし、その経済成長の恩恵が国民全体に行き渡っているかは、議論の分かれるところです。滞在初日、旧市街の教会の前の広場の噴水を歩いていると、同じように散歩をしていた家族に出会い、そこのご主人と暫く立ち話をしていました。品のある身なりをしていた彼の口から近年の経済成長が格差の拡大を招いたと否定的なコメントが聞こえてきて、意外感を持ちました。その後、週刊誌「ブスケダ」を読むと、若手社会学者がウルグアイの経済成長は貧富の格差を生む結果につながったとの研究成果が記事になっていたことを知り、納得したところです。これまで経済成長を「善」としてきた左派政権にとっては冷や水を浴びせられた記事だったかもしれません。

◆先週末の現地紙「オブセルバドール」でも「ハネムーンの終わり」という類のテーマで、10年3月から始まったムヒカ政権の今後の課題について特集を組んでいました。政権発足当初はある程度の支持がありましたが、最近は当初の勢いがなくなりつつあるようです。皮肉なものですが、左派政権の支持基盤である労組がストライキなどで活動を先鋭化しており、アルゼンチンの現地紙「クロニスタ」には今のウルグアイの情勢を「ウルグアイのアルゼンチン化」という表現を使って説明していました。左派政権だから支持基盤の労組の手綱捌きができるというのではなくて、実は政権が振り回されている状況が見え始めたようです(どこかの国も似ていますが)。

◆早くもムヒカ大統領の真価が試される時がやってきたのかもしれません。彼は左派政権の中でも更に左側且つ大衆政治的な派閥(MPP)に属しています。その最大派閥をバックに大統領選を有利に戦ってきました。ただ、MPPが目指す政治と左派政権内の経済エリートが仕切っている経済政策とは肌合いが異なります。安定した経済政策を「アルゼンチン的な動き」によって不安定化させてはならないと企業家と与党内の経済エリートあたりは思っているでしょう。そのための用心棒としてのムヒカ大統領なのですが、彼の手綱捌きが予想に反して上手くいかないと分かった時、これはちょっとウルグアイの評価を少し考え直さなくてはいけません。
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◆ご無沙汰していました。またまた、長いことモンテビデオを離れていました。今回の目的地はアルゼンチンで、イグアス(ブラジルだけではないんです)、メンドーサ、そしてブエノスアイレスと訪れていました。その様子は追って書いていこうと思っています。

◆さて、先日発行された在アルゼンチン日本商工会議所の会報に、ウルグアイの夏の観光地について書いた拙文が掲載されたので、これから3回に分けて紹介します。なお、これはアルゼンチン在住者向けに書いたものなので、少しマニアックな内容になっているかもしれませんが、その点はご容赦ください。

1.はじめに

 ブエノスアイレスの対岸に広がる国、ウルグアイ。ブラジルとアルゼンチンの緩衝地帯として独立を果たしてから170年余り。最近のニュースでも、その小国としての悲哀を味わっているように見受けられます(例えば、アルゼンチンとのセルロース工場建設問題)。

 日本の半分の広さで人口340万人の国に何があるのかについて、対岸から休暇を使って既に訪問された方々が多くいらっしゃることを承知の上、恥の上塗りになるかもしれないことへの観念をしつつ、ウルグアイの夏について少しばかり紹介したいと思います。

2.ウルグアイの夏

 ウルグアイの夏は、普段は対岸を見向きもしないアルゼンチン国民からも、一目置かれるような保養地に変身します。マル・デル・プラタよりも近くに適当な温度の青い海が広がり、アルゼンチン国民(ブエノスアイレス市民でしょうが)にとっては、自らの庭同然に、当国最大のリゾート地プンタデルエステにお金を落としてもらっています。参考までに、ウルグアイにやってくる観光客の実に7割以上がアルゼンチン国民であり、観光産業に携わる人々にとっては、アルゼンチン様々といった感じです。

 昨シーズンからアルゼンチンとウルグアイとを結ぶ国境の橋を結ぶ道路が封鎖されるケースが起き、アルゼンチンからの観光客が減少する「被害」が発生していますが、このことはかなり地元の人々に響いています(本当の理由は、ウルグアイ・ペソ高で、橋の封鎖は二次的との指摘もありますが、それはさておき)。今シーズンも既にグアレグアイチュの環境団体が張り切っているので、昨年同様か、それ以上の影響を与えると見られます。

 先日、当地のレストランのボーイと話をする機会がありましたが、彼らにとっても危機がやってきている様子です。その一番の理由がチップ。ウルグアイ政府は、アルゼンチンの観光客減を、ブラジル観光客の増加で埋め合わせていると喧伝し、メディアもその提灯持ちのような記事を書いていますが、現地で働くボーイによれば、「ブラジル人はチップについてはケチだ」とのこと。確かに、プンタデルエステで一ヶ月ほど「生活する」アルゼンチン人の多くはそれなりの資産を有しているのでしょうし、ポルテーニョ特有の性格から金離れが良いのでしょう。その一方で、ブラジル人は・・・というのがボーイ達の小言のようです。実は、ウルグアイ人はアルゼンチン人を愛している。そんな一面が垣間見えます。

3.プンタデルエステを中心としたリゾート地

 ウルグアイの格好のシーズンは1月、特に前半の15日間です。それを象徴するのが不動産の値段です。12月3日付のオブセルバドール紙にはウルグアイの保養地における住居の貸出価格が報じられていましたが、同記事によれば、1月の貸し出し価格が、プンタデルエステ中心地において、安いところで2,500ドルから最高18,000ドルとのこと。需給の結果からそんな価格が出ているのでしょうから、驚く限りです。このように、プンタデルエステの物件の価格が先進国のリゾート地と遜色のないレベルになり、既に不動産を有している本物の金持ち(主にアルゼンチン人)に純化されていっているのが最近の状況です。

 一方で、既に読者の方々は薄々気付いているでしょうが、ウルグアイ国民の多くはそれほどプンタデルエステを利用しません。タクシーの初乗りがモンテビデオよりもプンタデルエステの方が高く設定されているように、国内で一番物価の高い町で1ヶ月以上も過ごすことを彼らは考えていません。大方のウルグアイ国民が選ぶのは、プンタデルエステ以外の「知られざる場所」であり、本稿では、そのあたりを紹介したいと思っています。

4.まず、プンタデルエステを東に行くと…

 プンタデルエステ以外の場所で保養地を求める場合、プンタデルエステを拠点として、東に進むか、北に向かうかという選択肢があります。

 プンタデルエステから東に40キロほど車で走りますと、ラプラタ河沿いにピリアポリスの町が見えてきます。映画『ウィスキー』の舞台としても使われたアルゼンチン・ホテルが存在感を示す「富豪・ピリアの町」です。読者の一部の方々も、映画『ウィスキー』をご覧になったかと思いますが、同作品は「ウルグアイらしさ」を醸し出している名作です。その中で一番の「ウルグアイらしさ」を表現しているのが、実は主人公たちの旅行先がピリアポリスであったところです。質素な庶民の贅沢の対象はピリアポリスのアルゼンチン・ホテルであって、煌びやかなプンタデルエステのコンラッド・ホテルでもコンドミニアムでもありません。2004年の東京国際映画祭のグランプリを受賞した同作品ですが、その奥に秘められた文脈は意外なほど深かったりします。

 ちなみに、ピリアポリス周辺でも家屋を長期に渡って借りることができます。目の前には青いラプラタ川が既に広がっており、波はまったくありません。落ち着いた雰囲気の中で、何をするわけでもなく、ただただ川面を眺めて、日光浴を楽しむ。余談ですが、この界隈には、バスケス政権の幹部の方々もセカンドハウスを所有しているなど、庶民性を売りにする左派政権ならではの話も聞こえてきます(彼らがプンタデルエステとご縁があるように聞いたことはありません)。

5.それでは、北に行った場合は・・・

 北に針路をとる場合、大西洋の海岸の集落を求めることになります。主な保養地としては、ラ・パロマ、ラ・ペドレラ、カボ・ポロニオ、バリサ、プンタ・ディアブロ等々、ブラジル国境に至るまで白浜の海岸に面した集落が続きます。太平洋岸には、サーファーやヒッピー崩れの若者が多いのが特徴で、特にラ・ペドレラはここ数年における若者のメッカになっている様子です。他にも、砂丘の中の集落であるカボ・ポロニオは、車の乗り入れが原則禁止。そこに至るには、車を乗り捨てて、相乗りのバギーを利用しないといけません。また、同地には乗馬のサービスもあり、広大な砂丘を馬で走らせ、灯台の立つカボ・ポロニオの集落を眺める贅沢を味わうこともできます。ちなみに、欧米系の旅行会社にはウルグアイでの乗馬ツアーが存在するそうで、その中には太平洋岸を馬に乗り続ける一日というのもしっかりと含まれています。

6.そのとき首都のモンテビデオは・・・

 ウルグアイ国民の4割が集中する首都のモンテビデオですが、夏になると、地元の人々は既述の観光地に逃避しますし、日本の旅行ガイドではダウンタウンの地図を義理で掲載しているかの程度です。しかし、この3年間、経済は回復したことで街に活気が戻りつつあり、クルーズ船も年間100隻程度はやってくることから、モンテビデオ自身も観光資源を開発しよう努力が垣間見えます。ここでは、その関連イベントを二つほど紹介します。

 まずは、12月3日に行われた「カンドンベの日」です。2006年から始まったもので、国会議事堂前で、アフリカが由来のウルグアイの黒人音楽であるカンドンベを奏でながら、日中はジャマーダという練り歩きが行われ、夜は国民的な人気歌手ルーベン・ラダのコンサートが開催されました。カンドンベは、ウルグアイ国民の10%に満たない黒人による伝統音楽ですが、国民全体にしっかりと根付いており、5拍子のリズムが青空の下で響き渡ると白人の小さな坊やもステップを踏むなど、非常に微笑ましかったです。

 次は「夜の美術館」です。12月7日に開催されました。夕暮れ時の20時からダウンタウンに散らばる美術館や宮殿が一般開放され、多くの市民が集まりました。美術館の中庭や宮殿の広間では相次いで音楽会が開かれ、世界的にも有名なウルグアイ人音楽家が気さくに登場していました。著名人と庶民との間の敷居の低さはウルグアイの美徳です。そして、もう一つの特徴は、これらイベントが無料であることで、本当は娯楽に飢えているモンテビデオ市民をここまで動員させることに結びついています。

 他にも、知られていませんが、期間の長さにおいて、世界で一番長いカーニバルはモンテビデオで開催されています。その期間、およそ一ヶ月。その間は「夏の劇場(Teatro de Verano)」でほぼ毎晩カンドンベやムルガのコンテストが行われます。贔屓のグループなどが登場するときにはチケットの購入が難しくなりますが、普段はそれほど混みません。それも、ウルグアイの特徴かもしれません。

7.おわりに

 ウルグアイでの生活を通じて見えてくるのは、面白い魅力がたくさん潜んでいることです。それらがなかなか外部には伝わらないのですが、それが単に当事者のPRが下手なのか、意図的に隠しているのか、はたまた面倒くさがりなのか。いずれにしても、住めば都とはこのことで、今年もウルグアイの夏を満喫させてもらっています。読者のみなさまも、息抜きとして、この夏、ラプラタ川を越えてみるのは如何でしょうか。

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前回のブログの続きというわけではないのですが、先週の土曜日、プンタデルエステまで足を伸ばしました。日本在住の方々には馴染みのないこの町ですが、欧米の人々にはそこそこ知られているようで、例えば1月7日付のニューヨーク・タイムス紙でも紹介されていました。右の写真のようにウルグアイの「東の岬」(プンタデルエステの日本語訳)に位置し、写真に向かって、右が大西洋、左がラプラタ川になっています(よりマクロな写真は前回のブログを参照ください)。

◆モンテビデオからプンタデルエステまでは車で2時間弱の距離。今年はプンタデルエステが開発され始めてからちょうど100年目とのことです。最初は漁村として、そして20世紀の中盤からは周辺諸国の金持ち向けの保養地として注目を集め続けてきました。また、80年代中盤に「ウルグアイ・ラウンド」が開催されたのもこの町です。20世紀の初頭に隆盛を極めた首都・モンテビデオとは違った形で、この町は成長を続けています。

◆「夏のプンタデルエステにはウルグアイ人がいない」と地元の人々はよく口にします。その根拠を探してみますと、例えば、プンタデルエステの人口は1万人弱と統計で出ていますが、夏のシーズン(12月~2月)には50万人近くにまで増えるという話があります。そして、それら観光客の大きな部分を占めているのは、アルゼンチン人と言われています。また、プンタデルエステで最も有名なコンラッド・ホテルにおける1月前半の利用者は、約4割がアルゼンチン人、2割強がブラジル人といった中で、ウルグアイ人はわずかに3%。夏のプンタデルエステにおけるウルグアイ人の存在感のなさを裏付けています。

◆1月の上半期は、プンタデルエステが最も賑わいを見せる時期です。個人的なこととして、3年近くウルグアイに夫婦して住んでいますが、このピーク時にプンタデルエステを訪れるのは初めてでした(オフ・シーズンには幾度となく日本からお友達などを連れてきましたが)。 そして、自分はプンタデルエステの初泳ぎ。大西洋の水は冷たかったものの、波も程よい高さで、目の保養にもなり(余計か・・・)、何故もっと早く知ろうとしなかったのかと自らの不明を恥じていました。

◆先述のとおり、夏のプンタデルエステの中心はウルグアイ人ではなく、彼らに取って代わるのがアルゼンチン人です。例えば、ウルグアイを訪れる年間観光客のうちアルゼンチン人は7~8割近くと言われています。その多くは、夏のシーズンに合わせて両国国境のラプラタ川を渡り、人によっては月単位で夏休みを満喫します。また、プンタデルエステに林立するアパートや目も眩むような豪邸はアルゼンチン富裕層の脱税マネーで購入されたものと言われており、その多くは個人名義ではなく、ウルグアイのペーパーカンパニーを購入して、会社名義で資産管理をしていると言われています。

◆実際に車でプンタデルエステを隈なく走ってみましたが、アルゼンチンのナンバープレートをつけた車の割合は非常に高いです。路上を走っている車だけでも3~4割程度。そして、高級アパートや豪邸に駐車しているもので7~9割といった按配です。

◆そして、象徴的なのは右の写真の新聞スタンドです。何の変哲もない青い新聞スタンドですが、その表にはアルゼンチン・ブエノスアイレスの有力紙である"La Nacion"の文字。そして、スタンドの中心に積まれているのはアルゼンチン主要2紙であるLa Nacion紙とClarin紙。ちょうど新聞を購入する人々も見掛けましたが、彼らはしっかりとLa Nacion紙を買っていきました。それら青いスタンドがプンタデルエステの至る所で散見できます。

◆「プンタデルエステはアルゼンチン」と揶揄するウルグアイ人の声を耳にすることがありますが、このような光景を目の前にするとあながち冗談ではないなと思ったりもします。
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◆昨日のブログでは、ウルグアイのアメジスト生産が今年に入って減少傾向であると紹介しました。その背景に3つほど理由を挙げましたが、「(3)同じ貴石である瑪瑙(メノウ)の需要が高まり、生産者としてアメジストを輸出するインセンティブが低くなっている」ことを、今日は書いていきます。

◆アルティガスの鉱山経営者にとって、アメジストとメノウの採掘はゼロサムの関係です。大型資本が入っていないため、生産量及び輸出額がここ数年右肩上がりでありながら、限られた労働資源の中で、アメジスト採掘かメノウの採掘を選択を迫られています。

◆その傾向を裏付ける一例として、アメジストとメノウの輸出額を比較してみましょう(ウルグアイのような国では内需は見込まれないため)。

<アメジストとメノウの輸出額(アメジスト/メノウの順番)>
2000年 17.3万ドル / 38.4万ドル
2001年 30.3万ドル / 21.2万ドル
2002年 42.7万ドル / 24.3万ドル
2003年 53.2万ドル / 127.9万ドル
2004年 71.2万ドル / 222.1万ドル
2005年 104.6万ドル / 218.6万ドル
2006年 56.0万ドル / 289.5万ドル

◆ご覧のとおり、2003年以降、メノウは急激な輸出増の時期を迎え、その流れは現在も続いています。今年1-9月の輸出額は既に昨年実績を超えていますし、昨年同期比の2倍近くの伸びです。この「特需」を前に、鉱山経営者は、アメジストよりも容易に採掘が可能なメノウに向かう結果になっています。

◆ウルグアイの北部の片田舎において、「特需」の原因を作っているのが実は中国です。瑪瑙の輸出は2003年に急成長しましたが、その年の中国向け輸出額は5.4倍の伸びでした。2002年からメノウの主要な買い手は台湾から中国に移りましたが、現在では中国の独壇場です。そのシェアは98%(!)。ガイドのW氏によれば、頻繁に中国大使館員が当地に関係者を斡旋しているとのことです。

◆それでは、何故中国かということですが、例えば、縁起物として国内向けにされたり、中国国内で何がしかに加工されて、日本を含めた第三国に輸出されるようです。先述の縁起物も含めて、中国人関係者にとって、ウルグアイという調達先はお手頃と映っているようです。

◆日本でも、メノウには心のバランスを保ち気持ちを落着かせてくれる効果があると宣伝されています。アルティガスを訪れて、自分たち夫婦は「水入りメノウ」を買いました。話を聞けば、1.2万年以上前に水がメノウの中に閉じこめられたとのこと。神秘的な響きがしますが、最初はかなり眉唾に思っていました。ただ、日本のサイトを見ると結構な値段で販売されている様子。ちなみに、現地の価格は末端価格の10分の1程度。日本へのお土産として「ネタ」になるかもしれません。
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◆話をウルグアイ北部の旅に戻しましょう。この旅の詳しい話は既に妻のブログで続々と紹介しているので、そこに大方任せるとして、自分はニッチな話をしていきます。

◆アルティガスに入ると、鉱山を案内してくれるW氏と待ち合わせて、自分の運転でアルティガスから30分程離れた採掘場に向かいました。その途中では、当地のアメジストの話になりました。世界的なアメジストの産地としてウルグアイは名前が通っているそうですが、それらアメジストはこのアルティガス界隈で採れたものです。そして、「ブラジル産」アメジストの中にも実はウルグアイから流れてきたもの多いと説明を受けました。ウルグアイ産は、ブラジル産よりも紫の色が濃く、人気が高いとのことです(最後の部分はちょっと眉唾ですけどね…)。

◆実際に、ウルグアイ産アメジストの「ブラジル産」への変身する傾向については、統計資料によって裏付けられます。まず、2000年から2005年にかけてのアメジストの輸出統計では、次のように輸出が急成長を遂げていることがわかります。

2000年 17.3万ドル
2001年 30.3万ドル
2002年 42.7万ドル
2003年 53.2万ドル
2004年 71.2万ドル
2005年 104.6万ドル

◆5年間で約6倍の輸出額を記録しており、当地アメジスト生産者の羽振りの良さを察することができます。そして、この2005年の輸出額のうち、ブラジル向けのシェアは66.6%。ただし、これは公式の数値であって、W氏によれば、9割はブラジル向けとのこと。その意味するところですが、実はブラジルへの密輸の存在を示唆しています。

◆「9割」という数字を当て嵌めると、公式の輸出額は、密輸分を含めた全体の25%相当にしか過ぎないことになるので、そのまま鵜呑みにすることはできません。しかし、いずれにしても、輸出業者における輸出の際の煩雑な手続き、及び輸入業者における関税負担の免除を考えると、国境管理の甘いブラジル・ウルグアイ国境は魅力的なのかも知れません(個人的には、あんな重いものをどうやって密輸するのか不明ですが…)。

◆ところが、そのアメジスト輸出に変化の兆しが見えてきています。例えば、2006年(1-9月)の輸出額は56.0万ドルで、昨年同期比ではマイナス31%を記録しています。特にブラジル向けの輸出の減少が顕著であり、マイナス57%となっています。また、ブラジルのシェアも75%から47%に減っています。

◆この急激な変化の背景を聞くと、(1)ブラジルという「仲買人」を廃し、直販を行うようになった、(2)精製過程をブラジルにアウトソースするのではなく、内製化の方向で動き始めた、(3)同じ貴石である瑪瑙(メノウ)の需要が高まり、生産者としてアメジストを輸出するインセンティブが低くなっている、等があるそうです。

◆全体の減少については、(3)が真っ当な理由になるかと思いますが、ブラジル偏重だったシェアの低下については(1)と(2)で説明できるのではないでしょうか。例えば、(1)を裏付ける統計として、今年に入ってから、過去に輸出実績のなかったイタリア向けの輸出額がブラジルに次ぐ第2位を占めています。また、(2)の影響としては、アメジスト及び瑪瑙の加工過程において、採掘だけではなく、精製や研磨を含めて地場産業の振興に役立っているとのこと。雇用でも3千人強が見込めるとのことで、4.3万人のアルティガスにとっては、大きな雇用源になる可能性を秘めています。

◆最後に、余談ですが、日本向けの輸出は、2000年以降を繙きますと、2005年に5.5千ドル程度という寂しい実績しかありません。現地の生産業者と話をしても、中国人やアメリカ人の好みについては的確に把握していますが、日本人の好みは「?」でした。日本のバイヤーはブラジル経由での調達が中心でしょうが、ウルグアイに直接買い付けるのもお得かもしれません。ちなみに、現地の値段ですが、右写真のもので、キロあたり、一番安いもので5ドル、一番高くても20ドルで話を始めることができます。如何でしょうか?
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◆モンテビデオから600キロほど北にあるアルティガスは人口4万人強の小さな町です。モンテビデオに生活する人々にとって、この地域はブラジルとの国境に接する「辺境」であり、あまり省みられることもありません。実際にアルティガスの町を覆う趣きも、例えばラジオやテレビはブラジルの番組の影響を大きく受けているなど、モンテビデオとは異なっていました。

◆自分がこの町を訪れてみたいと思った理由の一つに、「密輸」の存在があります。今年に入ってから麻薬の経路としてウルグアイが活用されることが増えてきました。同じ南米のコロンビアが麻薬の主な生産地のようですが、それが先進国に流れる経路として、ボリビア、パラグアイ、ブラジル等を経て、ウルグアイから欧州に出るルートなどがあるそうです。ちなみに、先日報じられたケースでは、パイロット等航空関係者までが一連の犯罪に関与しており、組織的な犯罪が根付いていることがうかがえます。

◆ウルグアイの北北西には、イグアスの滝で有名なパラグアイ・アルゼンチン・ブラジルの国境沿いから構成される「三角地帯」と呼ばれる地域があり、同地域は密輸やマネーロンダリング等で有名です。米国政府はテロの資金源として使われていると911以降から特に目を光らせている様子です。また、このような国境地域には、アラブ系の移民が多く商売を営んでおり、それが米国の警戒を更に強める結果になっています(そして、ウルグアイとブラジルの国境にもパレスチナやアラブ系のネットワークが構築されています)。

◆三角地帯からウルグアイに麻薬を含めた密輸品が流れてくる場合、三角地帯から比較的近いとされるのがベジャ・ウニオン、アルティガス、リベラといった国境沿いの町です。それぞれ陸路でモンテビデオに運び、それから海又は空の経路を通じて、主に欧州に流れると見られています。

◆それでは、何故その筋の人々にウルグアイが着目されるのか。その理由は、ウルグアイが他国と比較して脇が甘いためであると思われます。

◆これらの町については、それぞれ自分の目で確認したことがありますが、総じて国境を通過することは容易でした。例えば、今回自分たち夫婦は、ウルグアイ側のリベラでブラジルへの入国手続きをしました。まずはウルグアイ側にある役所で出国手続きを行い、それから車で免税店がひしめく繁華街や国境(らしきもの)を越えて、ブラジル側にある警察で入国手続きを行いました。リベラの場合は、川など国境を明確に区別するものがないため、誰がどの時点でブラジルを越え、ウルグアイに入ったかについては、その個人の「善意」の申請によって成り立っているような状況です。

◆今回、ブラジル側の警察で入国手続きを行いましたが、その際に「アルティガスに行くと、もう一度ブラジル側を出国しなくてはいけないが、どうすれば良いのか」と聞きますと、先方は怪訝そうな表情をして、「ウルグアイ側はどうか知らないが、多分手続きは必要ない。明日ここ(警察)に戻ってくればよい」との回答。

◆その時点では、その回答の意味が分からなかったのですが、この界隈で2日間過ごしてみると見えてきたのは、そもそも出入国手続きを几帳面にやる必要はないということでした(自分の場合は、万が一の際の保険として必要ですが)。リベラの町でも、アルティガスの町でも、歩いて国境を渡っても、車でウルグアイ・ナンバーを付けて国境を越えても止められている光景は目にすることがありませんでした。

◆また、アルティガスは、川を隔ててウルグアイとブラジルで分かれていますが、一般的に車や歩行者が渡る橋とは別に、人の胸程度の丈しかない川を馬車で渡る貧困層の人々を橋から眺めることができました。当然その人達にお咎めはなし。どうしても日本人は、国境となると「見えない壁」があるように思えてしまうのですが、実はそれは意識の問題で、現地で生活する人々にとっては、何の意味も為していないような気がしました。
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◆20日(金)から21日(土)までウルグアイ北部を中心に旅をしていました。といっても、内容はほとんど仕事のようなもの。2日で1,500キロほど自ら運転して、ブラジル国境の町々の様子やアメジストや瑪瑙(めのう)が掘り起こされる鉱山の見学をしてきました。あと、業務連絡ですが、当然帰路では例の国道8号線も通ってきました。確かに橋の部分は拡張が必要です。

◆今回の旅ですが、初日のアルティガス(モンテビデオから北へ600キロ)の宿は手配していましたが、その次の日はどうするか決めていませんでした(本当はラバジェハ県のメロあたりで2泊目を過ごすことも考えていました)。ただし、日中の予定を十分に入れても、2日間でこの辺りを余裕をもって周ることができるということが判明して、自分としては「遠い場所」という先入観が払拭されて良かったと思っています。どうしても、南端のモンテビデオに住んでいると北部とは接点がなくなり、精神的に距離を置いてしまいがちですが、1泊2日で十分な距離ですね。

◆旅での出来事については、妻のブログでも彼女の観点から紹介してくれると思いますし、自分でも要点を掻い摘んで書いていきます。そして、ウルグアイ国内を車で旅をするのであれば、春は非常に良い季節です。緑の色が映えてきて、窓を開ければ紫、黄、赤といった花々の香りが漂ってきます。また、今回のルートを通じてウルグアイを景色の変化ぶりを堪能しました。先入観を壊す旅をまだまだ出来たことに、ウルグアイの深さを少しばかり知ることができました。

◆最近、ウルグアイのことを書いていなかったので、少し地元のことを書いていきましょう。
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◆最初に事務連絡。今日から夏時間が導入されました。これまでより1時間前倒しになり、ウルグアイと東京との時差は11時間に。これから夏にかけてウルグアイに来られる方は、若干のご注意のほどをお願いします。

◆さて、今日ですが、20度を超える好天に恵まれましたので、夫婦でモンテビデオ郊外をドライブしました。(そう、もう一つ事務連絡。が今週ラジオに出演しています)。

◆きっかけは数日前に上司のお宅を訪問した際に拝見した藤棚でした。五分咲き程度だったのを見たときに「あっ」と思い出したのがモンテビデオから北北西に50キロほどのサンタルシアという町。そこにはQuinta Capurroというお屋敷を含めた9ヘクタールに広がる別荘があります。その別荘は1873年に建てられたそうで、その栄華の一部として、庭には藤棚があります。ウルグアイにやってきた当初、ここでも触れましたが、昨年は時期を逸してしまい、来年はもしかすると見られないかもしれないので、出掛けていきました。

◆敷地は公園のように開放されており、入口近くに車を停めて外に出ると、既に花の香りがほのかに届いてきます。それから、敷地の中に入って暫く歩くと前方には薄紫の花が広がっています。藤は、棚だけではなく、繁殖能力の赴くままに、高さ20メートル近くの木々や少し離れたお屋敷の壁にも絡まっています。そこから放たれる香りは春を感じさせるものでした。
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◆暫く書き込みができずにすみません。そんな中でも毎日100近くのアクセスをいただいて有難うございます。ここ数週間、いろいろとウルグアイを体験していますが、ちょっと昔持ち合わせていた「見立て」とは異なってきたのかなと思っている最近です。そこらへんは追って書いていければと思っています。

◆まずは、金曜日の中国新聞に拙コラムが掲載されましたので、それを当座の凌ぎとして掲載します。是非ご一読ください。

「乗馬で堪能 ぜいたくな時間」

 日本人にとっても穴場の観光スポットがウルグアイには隠されている。それが「乗馬」である。

 ウルグアイは農牧を生業とした国であり、例えば牛の数は国民の三倍以上を数える。それら牛はエスタンシアと呼ばれる広大な農場で放し飼いにされて育てられる。十九世紀後半から二十世紀前半におけるウルグアイの経済的な繁栄は、当時欧州に輸出した皮革や牛肉の利益によるものといわれる。現在も含め、この国の栄枯盛衰は牛とともにあるといっても過言ではない。

ウルグアイ人の尊敬を集めるガウチョ

 それら牛の管理を農場主から任されているのがガウチョ(カウボーイ)である。歴史的には大地を流浪し広大な草原で野生化した牛を捕らえていたが、現代は農場に住み込み、エスタンシアには無くてはならない役割を担っている。

 そのガウチョと切っても切れない関係にあるのが彼らの足となる馬である。ウルグアイでは、国の紋章で馬が「自由」を象徴する対象として刻まれている。そして、ウルグアイ人は、馬に乗るガウチョに向けて、英雄に対する尊敬のようなまなざしを与える。

 大きなエスタンシアでは使役用に馬が数十頭おり、一部のエスタンシアでは、これらを観光用に使う。観光客は週末エスタンシアに訪れて、午前と午後、それぞれ数時間かけて馬に乗ってぜいたくな時間を過ごす。

 ガウチョに連れられて、静寂の音しか聞こえない大地の中で、馬の背から地平線に向かって眺める景色は格別である。

 最近では、ウルグアイ国内だけではなく、海外からの観光客も増え、欧米の旅行会社ではウルグアイの複数のエスタンシアで乗馬を楽しむツアーもある。特に欧州では手ごろな値段で乗馬をすることは難しいとのことで、エスタンシアでの乗馬は人気が高いと聞く。

 日本からはなかなか遠い国ではあるが、日本の友人を連れて行けば、間違いなくウルグアイ好きになってくれる格好の隠れスポットとして重宝している。 (了)

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