カテゴリ:ウルグアイの政治( 20 )

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◆皆さまご存じのとおり、ウルグアイは既に欧州方式(DVB-T)に決定していましたが、先般来、日本政府とブラジル政府がウルグアイを日本方式にひっくり返そうと頑張っています。現地メディアでも11月から頻繁に報じており。どうもムヒカ大統領もそれに乗っかりそうだという様子になってきています。今日は、その辺りを書いてみます。

◆欧州方式だったウルグアイに変化の兆しが見えたのはムヒカ大統領が就任した今年3月からです。同大統領は前政権で決めた欧州方式の再検討を明らかにしました。大きな理由として考えられるのは、ウルグアイ政府が欧州方式の決定という政治的な賭けに敗れたことです。

◆今回の地デジの方式もそうですが、ウルグアイが決定に際して重視するものの一つが、関連産業の投資呼び込みと雇用の創出です。07年に欧州方式をいち早く採用したのは、当時南米大陸で優勢であった欧州方式をいち早く採用することで、欧州企業のウルグアイへの投資促進を加速させる目論見があったためと言われています。当時、ノキアが進出するなどの噂が流れるほどでしたし、欧州勢はかなり本気で南米大陸の地デジ方式の席巻を狙っていました。

◆ムヒカ大統領就任以降、日本政府からは総務省審議官レベル、ブラジル政府からは大統領を頂点に、ウルグアイ政府との協議を継続していました。ウルグアイ政府からは、貧困層向けの機材(セットトップボックス)の無償提供、オーディオ・ビジュアル産業の研究開発支援、地デジ方式普及にかかる各種支援などが日本方式への変更に向けた条件として提案されており、11月上旬に日本政府はそれら技術的な側面での回答を中心に行ったとの報道がされています。

◆ただ、07年にウルグアイが欧州方式に決めた背景は、技術的な理由だけではなく、むしろ自国産業の発展を意識したものであり、その切り口を十分に理解するブラジル政府からはウルグアイ経済の発展と雇用に資する2.9億ドル相当、3,000名の直接雇用に繋がる民間投資の提案を11月に行いました。具体的には、地デジ機材(セットトップボックス)の工場進出をはじめ、病院建設、ショッピングモール建設、自動車関連や化粧品関連工場の進出など、要は何でもありです。また、ブラジル政府は、これら案件に対するBNDES(ブラジル国立経済社会開発銀行)の融資枠を約束しただけで、予定は未定なのですが、今のブラジルの景気からすると現実的な印象を与えます。

◆一方、青色吐息の欧州勢からウルグアイ政府に約束されているのは1,000万ユーロ相当。目の前にニンジンをぶら下げられたムヒカ大統領は、12月5日、今月中までに決定することをブラジル側に伝えています。政権内では、欧州方式を支持する工業省(地デジ所管官庁)と、南米統一方式構想や今後のブラジルとの関係強化を目指す立場から日本方式を支持する外務省で意見が対立しているようですが、最終的にはムヒカ大統領が決める運びになります。

◆さて、日本方式への逆転という僥倖(ぎょうこう)が実現した暁には、これを奇禍として、特に経済・産業面での両国の遣り取りがもっと多くなればと願っています。今回の一連の流れの中で日本サイドに足りないのは、日本企業レベルの動きに繋がるような動きが見えてこない点です。これは、どこかの企業が進出を約束するといった類ではなく、ウルグアイ側が日本企業の誘致に熱心なのであれば、日本側もそれを円滑にさせる仕掛けを率先して整えてみてはということです。

◆そのような動きの一例を紹介します。07年3月、ウルグアイのレプラ工業相(当時)はアルゼンチンで開かれた現地日本商工会議所の昼食会でウルグアイの投資誘致について講演が行われました。当時ウルグアイは既に日本方式か欧州方式かを検討しており、同相はウルグアイへの投資に関心があれば遠慮なく自分にコンタクトして欲しいとの主旨の話をしていました。日本政府がウルグアイの経済発展を考えている姿勢を見せつつ、日本企業にもウルグアイの政権幹部とのチャンネルを作るという機会を提供するという一石二鳥のチャンスの見地に立ったものでした。

◆先日、ブラジル・サンパウロで、ウルグアイ進出への漠然とした関心を持つ日系企業の話を聞きましたが、その方に必要なのはそれが具現化されるための情報とチャンネルだと思います。例えば、ウルグアイのハイレベルの方にサンパウロで喋っていただく機会があるだけで、似たような関心を抱く現地日系企業の選択肢は格段に増えるのではないでしょうか。今年10月、韓国のサムスンはウルグアイに物流センターを1,500万ドルかけて設立することを発表しましたが、その背景は何か。それだけでも在ブラジル日系企業の関心をそそり、ウルグアイの魅力を知る上で面白いポイントになるのではないでしょうか。案外、ブラジルからウルグアイを見ている企業は多いようです。

◆日本と南米が地デジ方式で結ばれることの何処に価値があるかというと、その方式の普及も然ることながら、それを一つの触媒として経済・産業面等々で日本と当該国の可能性を見出すところにあるのではないかと思っています。ウルグアイについては、この切り口において、他国と比べてまだそれほどの手垢がついていませんし、小国であるため、アイデア次第では面白い展開ができると思っています。
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◆今ではお隣の国として眺めているウルグアイですが、先週の金曜日のロイター電で、ウルグアイ大統領に関する記事が出ていたので、掲載します。

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ウルグアイ大統領、所有資産は18万円相当の車だけ
[モンテビデオ 4日 ロイター] ウルグアイのムヒカ大統領(75)が大統領就任時の宣誓陳述書に挙げた個人資産は、1920ドル(約18万円)相当の1987年型フォルクスワーゲン・ビートルのみだったことが明らかになった。
 3月に就任した同大統領は、元左派ゲリラ活動家で、質素な生活や地に足の着いた態度が国民に支持されている。
 先に公開された同陳述書によると、大統領には負債も預金もなく、ほかに資産も何も持っていない。大統領としての毎月の給料は1万1680ドル(約107万円)だが、その大半を左派の与党拡大戦線や公共住宅プログラムに寄付。大統領官邸への入居も拒否し、上院議員を務める夫人が所有する首都郊外の簡素な家に住んでいる。

http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-15695220100607
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◆このムヒカ大統領ですが、温厚そうな風貌と違って、経歴は結構華々しいものがあります(http://en.wikipedia.org/wiki/Jos%C3%A9_Mujicaを参照)。60年代にはウルグアイで発生した都市型ゲリラの一員として活動して、その結果投獄。軍事政権下ではひたすら牢屋の中で過ごしていました。85年に民主化を果たした後には、都市型ゲリラの同志で結成した政党(派閥)に参加。下院議員から上院議員となり、04年の左派政権誕生時には最大派閥の頭領となりました。

◆その頃、ウルグアイで生活していましたが、誰も次の大統領にムヒカがなるとは信じていませんでした。確かに庶民には人気がありますが、その発言の不明瞭さは外国人泣かせでしたし、識者からは大統領に相応しくないと思われていました。ただ、当時のバスケス大統領率いる左派政権は経済成長など実績を重ねて、ムヒカ自身は別段何か功績を残したわけでもないのですが、次第に国民の間に「ムヒカでも大丈夫ではないか」という安心感が出てきたのではないかと思っています。彼が大統領になったことは、ウルグアイで左派政権が根付いた証拠と見ることが出来ます。

◆もう一つは、2009年の大統領選挙において、左派政権は形はどうであれ、新しい候補に「変わった」のですが、対する野党は元大統領を候補に立てるなど、新鮮味がありませんでした。国民に魅力ある提案が出来なかった野党は、自ら勝てる可能性をなくしたと言えます。与野党とも政治家の高齢化が進む中、ウルグアイの好々爺でもあるムヒカが大統領におさまっているいるのは、その意味でも、ウルグアイ的な一つの成り行きだと思います。
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次のウルグアイの大統領選は2009年10月で、1年以上も先ですが、Cifra社が4日に発表したところによると、既に85%の回答者がどの政党に投票するか意思を持ち合わせているとのことで、来年の選挙に対する関心の高さを示しています。ただし、今後の展開については、世論調査のようにスムースには行かず、深層心理が複雑なウルグアイ人を色濃く反映しそうな選挙になりそうな気がします。

世論調査では、どの政党に投票するかについては、左派連合(拡大戦線)42%、国民党35%、コロラド党7%、独立党1%です。与党の左派連合は引き続き世論調査で1位を占めていますが、過半数を満たしておらず、第1回目の大統領選に勝利する(得票数の過半数獲得)ためには不確定な支持率となっています()。

実は、この構成比は過去3~4年間で大きな変化を見せていません。2004年の大統領選挙で左派連合のバスケス大統領は50.4%を獲得して、初回の投票で勝利を収めましたが、それ以降、政党に対する支持は45%周辺を推移しているといってよいでしょう。また、国民党は35%周辺、コロラド党は8%周辺といったところ。ある意味安定しています。

では、すんなり左派連合が2009年に勝利するのかというと、いくつかのポイントがあるように思います。

1.左派連合が柔軟性をもった政党連合であるのか?

ウルグアイの場合、左派の歴史は古く、1960年代からその萌芽が見えていました。政治組織としては紆余曲折がありましたが、国民の支持については、少しずつではありますが延ばしてきており、1990年代には一定の影響力を獲得していました。2004年の大統領選挙の勝利も時間の問題だった感があり、ウルグアイ国民には当然の帰結と思われたでしょう。

ただし、この連合、社会民主主義的な穏健派から共産党と名乗る極左まで抱えたものになっています。その寄り合い所帯をまとめていたのがバスケス大統領。彼の再選は憲法上禁止されていますので、今回は他の候補で戦うことになります。候補としては2名。ムヒカ前農牧相アストリ経済財務相です。

今回の世論調査によると、ムヒカ農牧相が51%、アストリ経済財務相が35%の支持率を集め、前者が有利となっています()。ところがバスケス大統領は、次の政権はアストリ大統領、ムヒカ副大統領のコンビが好ましいと明言しており、果たして党内でまとまるかといったところが焦点になります。

色合いからすると、ムヒカ農牧相は大衆的で極左からも支持を集めています。若いときは都市型ゲリラの闘志として活動しており、叩き上げといった印象を与えます。一方のアストリ経済財務相は大学教授出身。当時の教え子を抱えて経済チームを形成し、バスケス政権下での経済成長・安定化を実現させました。

このまったく肌色の合わない2名の対決を前にして、ムヒカ前農牧相は立候補について定めていませんが、彼の出馬がなかったにせよ、彼の派閥であるMPPがアストリ経済財務相以外の人物の擁立を訴えており、アストリ経済財務相の対抗馬が登場することは間違いないでしょう。

また、逆もまた然りであり、MPPの息のかかった候補が左派連合の大統領候補として決定した場合、左派連合で穏健派に属する支持者が国民党に流れ出す可能性も否定できません。今回の世論調査を受けたCifra社のコメントでも予断を許さないと述べていますが、この左派連合が一枚岩で維持されるかといったことにかかっているためと読み取ることができます。与党である旨味を理解できるかにかかっているでしょう。

2.経済成長は誰が成し遂げたのか?

これはアストリ経済財務相支持者が強調していく点でしょう。ウルグアイは過去にない経済成長を達成し、長期債での評価も高まっています。日本でも2007年に三井住友銀行がウルグアイ政府のサムライ債を発行のアレンジャーとなりましたが、それもウルグアイの安定を見越してのものでしょう()。経済の安定によって、海外からの投資も増えており、特にバスケス政権下では木材・セルロースに対する大型投資案件が相次いで行われてきました。

この経済成長だけを見ると非の打ち所がないように思われるのですが、一方でアストリ経済財務相は税制改革もバスケス政権下で進めており、2007年7月からIRPF(個人所得税)の導入を開始しましたが、これがアストリ経済財務相の評判を落としています。一つは、これが潜在的な左派連合支持者であった中流階級の懐を痛める結果に繋がっているとの説があり、政治的なポイントにはなっていないこと。もう一つは、政治的なプロパガンダとして、税システムの改編であった税制改革が増税策と映ることになった点でしょうか。

左派連合の左かかった勢力は、実質的な経済成長の恩恵を受けたとしても、一連のアストリ経済財務相の動きが「新自由主義勢力への妥協」と映っている節があり、彼らは経済政策よりも社会政策の充実を求めることが想像されます。その予算の根拠も明確にすることなく、1920年代のノスタルジアに駆られた「大きな政府」の再現を願うところがあります。右も左も含めて、この「大きな政府」の呪縛は至るところに存在します。

3.野党は一枚岩なのか

最大野党の国民党ですが、2004年大統領選候補・ララニャガ氏を立ててくることが想定されていましたが、今回の世論調査ではラカジェ元大統領の支持率(47%)がララニャガ氏(45%)を上回っています()。これは個人的に驚きでしたが、ラカジェ元大統領(1991~1995年)の支持が未だにあるというのは、国民党が如何に刷新されていないかと見せつける結果になっており、同党にとってはマイナスの印象しか与えないでしょう。

似たようなケースは、前回の大統領選におけるコロラド党・サンギネッティ元大統領(1986~1990年、1996~2000年)の動きが参考になります。彼がウルグアイでも賢人の部類にあることは誰も否定はしませんが、「古さ」というイメージがまとわりつきました。「過去の人」がでしゃばることでコロラド党は相対的に支持率を下げていきましたし、「過去の人」と見做すことも可能であった左派連合のバスケス候補(1995年から相次いで大統領選に立候補)を新鮮な候補に仕立て上げることまで結果的にしていました。

コロラド党は2004年大統領選で惨敗。かつてウルグアイの2大政党と言われながら、実質的な政権与党として長年君臨してきた面影はありません。未だに過去のノスタルジアに引きずられている典型的な政党に成り下がっています。

・・・以上のように、岡目八目では、アストリ経済財務相を後継者として左派連合を実質的な与党にすることがウルグアイの政治・経済の安定化、投資誘致の増大を引き起こし得るのですが、有権者はそのように割り切った考え方をしていません。彼らの発想は過去に縛られており、隣国の成功事例(ブラジルやチリ)に憧れを示しつつも、参考にすることに対しては自らのアイデンティティを損なうものと飛び込むことを躊躇います。彼らの安定は、過去への安住であり、未来への安定ではないのかもと感じさせるウルグアイの政治情勢です。
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◆2005年に始まったウルグアイの左派政権であるバスケス政権は、1日で4年目に入りました。そして、4日午前10時からバスケス大統領は6人の新大臣の任命を行う運びになっているとEl Paisが伝えています。今回の内閣改造は既に2月11日に発表されており、当ブログでもEl Paisの先行記事をフォローする内容のものを書きましたが、今回はその時に盛り込むことの出来なかった点なども踏まえて紹介していきたいと思います。

◆まず、今回の内閣改造の対象になっている6大臣を確認しましょう。

外相: レイナルド・ガルガノ → ゴンサロ・フェルナンデス(前大統領府長官)
農牧相: ホセ・ムヒカ → エルネスト・アガッシ(前農牧次官)
住宅相: マリアノ・アラナ → カルロス・コラッセ(前水道公社総裁)
教育相: ホルヘ・ブロベット → マリア・シモン(前電電公社総裁)
防衛相: アスセナ・ベルッティ → ホルヘ・バジャルディ(前防衛次官)
工業相: ホルヘ・レプラ → ダニエル・マルティネス(前石油公社総裁)

◆今回の内閣改造の特徴は、既に以前のブログでも触れていますが、「脱政治化」と「世代交代」です。例えば、ガルガノ前外相、ムヒカ前農牧相、アラナ前住宅相は左派政権の主要派閥の領袖であり、各大臣が自らの派閥の主導権を維持すべく積極的に見解を表明してきました。バスケス大統領は、政権運営において陣頭指揮に立って進むというスタイルを見せることなく、常に閣内外で一通りの議論を尽くさせて、最終的な落とし所を見つけ出すという調整役のスタイルに徹してきました。その結果、各種の「改革」と言われている政策課題は前進しない状況が続いています。

共同通信などの報道では今回の内閣改造を実質的なガルガノ前外相の更迭と示唆しています。政権発足直後からバスケス大統領とガルガノ外相の対立は顕在化しており、それがピークに達したのが2006年の米国とのFTA協議の可能性が検討された時でした。FTA推進を模索していたバスケス大統領に対してガルガノ前外相は断固反対を貫き通し、同大統領は最終的に2006年9月に米国とのFTA交渉を断念しました。バスケス大統領がガルガノ前外相をその時点を含めてクビにすることが出来なかった背景には、左派連合支持者が潜在的に反米であり、それを軸に党内で論争を巻き起こすことを善しとしなかったためです。

◆ただし、ガルガノ前外相がウルグアイ外交を切り盛りすることはそもそも役不足であり、例えばアルゼンチンとの間で紛糾したセルロース工場建設問題ではアルゼンチン政府に「ガルガノとは交渉しない」と窓口を閉ざされましたし、スペイン政府からも交渉相手として拒否された経緯もあります。「米国よりもメルコスールとの関係を重視すべき」というのが口癖でしたが、メルコスール統合でウルグアイのイニシアチブは限られていました。ガルガノ前外相の最後の逃げ場はベネズエラとキューバであったとも揶揄される始末でした。

◆一方、「外相不在」時のウルグアイ外交を実質的に切り盛りをしていたのがフェルナンデス新外相(当時の大統領府長官)です。彼はバスケス大統領の腹心であり、米国とのFTA協議準備、セルロース工場問題におけるウルグアイ窓口として務めていました。当時の外務省は、ガルガノ前外相が裸の大様のような状況であり、実質的な外交案件は大統領府が握っていた状態でした(小泉政権時における田中元外相と官邸との間柄を想像されると分かりやすいでしょう)。なので、今回の外相人事はある意味では当然の帰結なのかもしれません。

◆そして、今回の人事で注目されているのは、ムヒカ前農牧相の辞任です。彼は左派連合最大派閥(MPP)の長であり、2009年大統領選の有力候補と目されています。今回の辞任でも大統領選の準備のためといった論調が大勢を占めています。ただし、EIUなどでは、ムヒカ前農牧相が自ら出馬することについて懐疑的な見方をしています。例えば、ムヒカ前農牧相が立候補することで(1)左派連合の分裂が決定的になること、(2)都市型ゲリラ活動家であったムヒカ前農牧相の立候補が国外にウルグアイの左派に対する間違えたメッセージを送りかねないこと、をムヒカ前農牧相自身も懸念しているとも伝えられます。

◆今後、ムヒカ前農牧相が模索するのは、対抗馬と目されているアストリ経済財務相(6月に同じく大統領選準備のため辞任予定)に対して同氏支持と引き替えに諸条件を飲ませることでしょう。与党・左派連合の維持と次期政権における自らの影響力の維持が最善の策と気づき始めているかもしれません。健康問題もあるムヒカ前農牧相としては、アストリ経済財務相との協議を通じて現実的な折り合いをつけることが出来るのかが鍵になるでしょう。

◆それにしても、バスケス大統領のこのタイミングでの内閣改造は絶妙であると言っても過言ではないでしょう。今後の政権運営と2009年大統領選とのリンケージを断ち切り、政権内には従順で専門性の高いテクノクラートを揃えることに成功しました。これから政権終了時まで恐らくバスケス大統領は積極的にイニシアチブを発揮するでしょう。2007年6月に大統領再選カードを自ら捨てたことによって、今回の内閣改造を経て、超然とした大統領へと近づこうとしているようにも見えます。
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◆これまでも何度か取り上げているバスケス政権の内閣改造の話。浮かんでは前進しないままできましたが、2月9日付のエル・パイス紙によれば、ようやく着地点が見えてきたようです。正式な発表はまだですが、これで大方決まったでしょう。

◆今回の内閣改造では、ガルガノ外務大臣、レプラ工業エネルギー鉱業大臣、ブロベット教育文化大臣、ベルッティ防衛大臣、アラナ住宅大臣が対象者であることが濃厚で、後任をエル・パイス紙では次のように報じています。

新外務大臣 フェルナンデス大統領府長官
新工業エネルギー鉱業大臣 マルティネスANCAP(石油公社)総裁
新教育文化大臣 シモンANTEL(電電公社)総裁
新防衛大臣 バヤルディ防衛次官
新住宅大臣 コラッセOSE(水道公社)総裁

◆今後の焦点は、この人事に加えて、アストリ経済財務大臣を今回の内閣改造で加えるかどうかです。既に各方面から今年の4~5月に交代することが濃厚と伝えられている同相ですが、前倒しで交代することも考えられます。その際の有力な後任はカンセラ中銀総裁であり、その中銀総裁の後任にベルガラ経済財務次官が就くというのが順当な見立てになっています。

◆今回の内閣改造については、既にエル・パイス紙が2月8日の時点で内閣改造が近いという探りを入れたような記事を書いていました。そこには今回の5つの交代ポストが明示されており、この新聞記事に波長を合わせるように、その日にバスケス大統領が書く担当大臣を大統領公邸に呼び寄せて、交代にかかる協議を開いたと伝えられます。ウルグアイではこのような権力者とメディアの距離は非常に近く、これを単純に特ダネと見るのか、それともバスケス大統領が書かせたと見るかは議論の分かれるところだと思います。個人的には、後者だと思いますけどね。

◆これまで浮かんでは消えていった内閣改造の話ですが、遂行するに際して唯一の頭痛の種だったのは、ガルガノ外相の処遇でした。無能な彼を外相ポストに留めることによる国益の損失と上院議員に戻したときの与党内の混乱を天秤に掛け続けていたわけですが、今回ようやく上院議員に戻すことをバスケス大統領は決断しました。バスケス大統領としてもそのために彼だけをクビにするのではなく、複数の閣僚を含めることで色を薄めましたし、後任の外相についても、ガルガノ外相に敵対するような人物を充てませんでした。

◆過去のブログに書いたかもしれませんが、もともとバスケス大統領が2005年に就任するにあたって上院議員だったガルガノ氏を外相として起用する考えはありませんでした。同氏のプレゼンスについてはそれなりの理解を示しながらも、閣内に入れることについてはリスクを感じ取っていたようで、同氏には軍事政権時代に亡命先としていたスペインの大使職を与えるという報道が当時流れていました。

◆そのような組閣の動きに反発したのがガルガノ氏が所属する社会党でした。この社会党にも2派ほど分裂しているのですが、自派のボスが閣僚に就かないことに対してバスケス大統領に大きな圧力がかかり、渋々バスケス大統領がガルガノ氏に与えたというのが実情でした。そのような因縁があるため、両者の間には政権期間中も常に隙間風が吹いており、「外相不在」の状況がウルグアイでは続けられてきました。

◆今回の実質的なガルガノ外相のクビについては、バスケス大統領にとっては、党内に悪い影響が波及しないようにする配慮は見られましたが、ガルガノ氏との二者の間においては約束を違えていないとする強気の姿勢を崩しませんでした。9日付のエル・パイス紙によると、バスケス大統領とガルガノ外相との協議で外相交代を同大統領が伝えたところ、同外相は承知せず、一度目の協議は物別れに終わったとのこと。そして、二度目の協議に際しては、ガルガノ外相より自らの派閥から後任を出すことを辞任の条件としたそうですが、その条件をバスケス大統領は拒否したと報じられています。

◆今回の閣僚交代については、それぞれの派閥から条件や不満が色々と出てきたと伝えられます。何事にも動かすに際しては摩擦が生じるものですが、ウルグアイの与党・左派連合も例外ではありません。ただ、今回の閣僚交代では、「若返り」と「脱政治色」というキーワードのもと、バスケス大統領はぶれなかったと見ることができます。

◆今回の内閣改造のキーワードである「若返り」と「脱政治色」。2005年のバスケス大統領就任の際には、1985年の民主化以来、長年政権党になることが出来なかった左派連合の領袖達に対する論功行賞の意味が非常に強いものでした。平均年齢も比較的高かったですし、そこで彼らに対するガス抜きをしておかないと、後でどのような地雷を仕込まれるかわかったものではありませんでした。バスケス大統領が当時の社会党のリーダーであったガルガノ上院議員に渋々外相ポストを与えたのもその文脈からすると政治的な配慮としては自然であったと見ることができます。

◆それから3年近く政権を維持して、バスケス政権はそれなりの成果を見せていますが、やはり政治的に構成された内閣でやることにバスケス大統領は疲れています。したがって、そろそろ「うるさ型」の年寄りには退場願って、テクノクラートのような専門性を持ち合わせていながら口を挟まないような人物を新たに閣僚に任命して、残りの任期は自らの好きにさせて欲しいというのがバスケス大統領の偽らざる気持ちではないでしょう。

◆ちなみに、退場する方々の今後の行く末については、エル・パイス紙が次のような予想を立てています。ほんのご参考まで。
・ガルガノ外相 → 上院議員
・レプラ工業相 → 駐米大使
・ブロベット教育文化相 → 左派連合総裁
・ベルッティ防衛相 → ご主人の介護のため、引退
・アラナ住宅相 → 駐仏大使

◆さて、大統領就任3周年を迎える3月1日までにバスケス大統領は新体制を整えることができるでしょうか。今後のウルグアイ国内政治を観察するポイントとしては、バスケス大統領が重い腰を上げて動いたことに対して、果たして与党・左派連合が横槍を入れてこないかどうかでしょう。左派連合は高度に政治化(左傾化)した組織になっており、総じて今回の内閣改造が「脱・政治化(左傾化)」であることを敏感に嗅ぎ取っているでしょうから、去り逝く者(といっても不満タラタラのガルガノ外相でしょう)が火を点ける可能性を排除できません。
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◆バスケス大統領が毎年のごとく、夏のバケーションを地方で楽しんできましたが、職場(大統領府)に復帰した第一声が「再選は望まない」という宣言でした。このような宣言を昨年6月に続いて二度もさせてしまうところに現在の与党・拡大戦線の分裂具合が読み取れます。憲法を改正してでもバスケス大統領にもう一期大統領をやって欲しいというのは、あまりに非現実的な駄々であり、政治的人間として過去20年近く拡大戦線内を泳いできたバスケス大統領でもそのようなウルトラCを成し遂げるのは無理というものでしょう。

◆来年のことを言うと鬼が笑うとは日本だけのことなのでしょうか、ウルグアイでは真剣に来年の大統領選挙のことを議論をしています。他に話題がないといえば「ない」のかもしれません。そして、次の大統領は恐らく与党・左派連合から出てくるのでしょうが、それもこれも野党がダラシナイことに尽きたりします(日本となんとなく光景がダブって見えたりします)。

◆ここ数週間は、野党第一党である国民党の候補選びがウルグアイの主要紙で話題になっています。大きく二つの派閥が対峙し、2004年に続いて2009年も同じ候補がまずは党内で競い合いそうです。頭領がなかなか隠居するつもりがないために、若手が育たないというのは、日本の野党第一党の話だけではなく、ウルグアイも同様です。更に似ているのか、この頭領(ラカジェ元大統領)、「次の大統領選には出ない」とたしか2005年に言っていたはずなんですけどね。舌の根も乾かないうちにというのは万国共通で政治家の特許のようです。

◆世代交代が行われていないのは不幸だとウルグアイの政治を見ていて痛感します(これくらい岡目八目に日本の政治も見れれば良いのですけど)。伝統政党と言われてきたコロラド党と国民党は既に過去の栄光はありません。致命的であったのは、1985年の民主化以降において、大統領になってきた人間があまりに権力に固執しすぎた点です。確かにウルグアイでは大統領職を二期連続で務めることができないという憲法の条項があるのですが、各政党内では新陳代謝が行われずに来ました。両方の伝統政党の元大統領(サンギネッティとラカジェ)とも若くして大統領になってしまったために、「まだやれる」と勘違いしているようです。

◆元大統領だった人物が時代の変遷を経て再び大統領職で復活した際に素晴らしい治世を行われたという話を南米では聞いたことがありません。アルゼンチンでもペロンを戻せといったところで、結果はダメでしたし、現代でもペルーのガルシア大統領はやっぱり冴えないままです。アルゼンチンのメネムが戻ってこなかったのも、ペルーのフジモリが戻ってこないのも、もしかすると南米人の思いつきではなく、智慧なのかもしれません(ガルシアの場合は、相手がひどすぎた)。

◆さて、ウルグアイですが、その意味からすると、元大統領と肩書きのつく人間はやめたほうが良い。国民党のラカジェ、コロラド党のバジェは既に「使用済み」の人間であり、自然豊かなウルグアイの地方でのんびりと過ごすのが余生の過ごし方として正解だと思います(今回からサンギネッティ元大統領が野心を見せていないのは数少ない救い)。ただし、この懐古趣味というのはウルグアイのDNAみたいなところがあって、なかなか新しい世代を受け入れようとする素地がないんですよね。国民のレベル以上の政治家は登場しないということであれば、ウルグアイ的な頭領を今も昔も抱えて続けているのかもしれません。

◆今日はマニアックな書き方をしました。次回からはまた基本線に戻るとしますかね。
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◆年始からウルグアイ国内の政治記者の関心を引いているのはバスケス大統領の再選論議です。昨年も話題になっていましたが、2007年6月にバスケス大統領自身が再選はないと断言してから、その火種は消えたようになっていました。ところが、先日、与党・左派連合でもバスケス大統領と同じ派閥(社会党)に属するコルゼニアック上院議員から再選を可能とする内容を含む憲法改正が提案され、更に、昨年末に行われた閣議では現職閣僚からもバスケス大統領の再選を希望する旨表明する動きがありました。なお、閣議では、バスケス大統領がその件は議会で議論されるべきであると述べることで即答は避けたとの報道がされています。

◆バスケス大統領再選にかかる議論の震源地は与党・左派連合であり、非常に政治的思惑に満ちています。そして、実は左派連合が分裂しているのではないかというのが昨今の見立てになっています。与党としては、2005年に初めて政権を獲得して、当然次の大統領選挙が行われる2009年も勝利するつもりでいます。元大統領がいずれも再び大統領職に色気を見せていることで世代交代に失敗している旧2大政党(コロラド党と国民党)を尻目に楽勝するかと見られていました。

◆ところが、雲行きが怪しくなってきたのが2007年。昨年で左派連合は完全に二極化してしまいました。「左派」ムヒカ農牧相対「中道左派」アストリ経済財務相の対決です。報道によれば、両大臣とも2008年前半までに閣僚を辞任して、来る大統領予備選に準備するとのことです。2005年時点では、大衆に絶大な支持を得ながらも、ネクタイを決して締めないような風体や都市型ゲリラの元リーダーという背景から大統領に選ばれないだろうと思われていたムヒカ農牧相ですが、親米・IMF協調路線を踏襲してきたアストリ経済財務相に対峙できる唯一の候補として、祭り上げられたような形になっています。

◆一方、アストリ経済財務相ですが、経済成長を軌道に乗せたことで党派を超えた支持がありますが、左傾化する与党における大統領予備選に果たして勝利できるのかが鍵になっています。また、大統領になった場合においても、現在の与党の枠組みである限りにおいてアストリ経済財務相が与党を束ねることが出来ると思っている人は少数派でしょう。同大臣にとっては、予備選挙での勝利が唯一且つ最も厳しい試練になると思われていますし、茨の道は尽きることがないようです。

◆2007年を通じて、党の分裂による2009年大統領選挙の敗北及び野党への転落を恐れる与党議員が求めた代替案は2つ。「第3の候補擁立」と「バスケス大統領の続投」です。前者については、ルビオ上院議員(当時)に白羽の矢が当たり、バスケス大統領もそれを受けたかのように、同議員を予算企画庁長官に任命しました。これについては、反アストリ勢力によるアストリ大臣引き降ろしの一環とも見られていましたが、ムヒカ農牧相が大統領職に色気を見せつつあるとともに、今年に入って、ルビオ長官の出身派閥から同長官が大統領候補に相応しいとの姿勢を鮮明にしているため、まるで三つ巴の様相を見せ始めています。分裂が更なる分裂を招いているという状況に左派連合を陥っているようにも見受けられます。

◆そのような環境下における「バスケス大統領の続投」論です。これは、バスケス大統領の意向云々ではなく、もはや左派連合の統制が付かなくなりつつある中で、同大統領に「藁(わら)」の役割を担って欲しいという叫びにも聞こえます。過去10年以上にわたって主義主張の異なる勢力を束ねてきたバスケス大統領の調整能力にすがるしかない状況は、まるで世代交代が下手だった現在の野党(コロラド党及び国民党)を彷彿とされるものであり、なんとなくどこかの国を見ているようです。

◆当然野党は憲法を蔑ろにしようとしている与党の動きに反発。国民党政権(1990~1995年)下において経済財務相を務めたエコノミストのポサダ氏は「2009年の大統領選に勝てないと左派連合が判断した結果」と今回の大統領再選論議の本質を見透かしています。また、勝手連的にバスケス大統領再選を望む運動を起こしたホームページが登場したりもしましたが、署名は8,300程度にとどまっており、大きな動きにはなりそうにありません。

◆そもそもウルグアイにおいては、「大統領の再選」と「軍事独裁政権」とがシンクロする過去を併せ持っております。冒頭のコルゼニアック上院議員の提案した内容が1970年にパチェコ大統領時に提案されたものに類似していると新聞に酷評される始末です(ちなみにウルグアイの実質的な軍事政権開始は1973年)。如何に大統領の再選が好ましい意味を帯びていたとしても、歴史のトラウマを払拭することはなかなか難しいでしょう。何せウルグアイ人というのは過去を向いて生きているような国民性ですからね。
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◆新年明けましておめでとうございます。ウルグアイ滞在中のようにはいきませんが、ウルグアイの反対側に位置する日本から南米の小国の情勢などを関心の赴くままに今年も書くことができればと思っています。よろしくお付き合いください。

◆さて、2007年中にバスケス大統領が訪日する可能性について、2007年5月にブログで書いたことがあります。バスケス大統領がバチェレ・チリ大統領と首脳会談を行い、バチェレ大統領が同年9月に訪日するので、同じタイミングでバスケス大統領も訪日を考えたいと発言したもので、初めてその話を新聞で読ませてもらったときには、「面白い発想だけど、事務方で止められるだろうな」と思いました。案の定、その件に関する続報はなく、この話は立ち消えになりました。

◆その埋め合わせではないでしょうが、2007年11月にバスケス大統領は初のアジア訪問先として、マレーシアとベトナムを選びました(このほかにニュージーランドも訪問)。バジェ前政権の最初のアジア訪問先が日本であったことを考えますと、その名誉を中国に奪われなかったことは幸いとしましょう。ただし、ウルグアイ政府にとっては、大統領自身が訪日を希望するようなシグナルを送りながらも反応しなかった日本政府はウルグアイへの関心が低いのだと強く感じたのではないでしょうか。たぶん日本側は認識していないでしょうけど、この時点で日本側はバスケス大統領(またはこのシナリオを描いた人物)に恥をかかせることになりました。

◆ウルグアイ政府は、2007年11月のアジア諸国訪問先に中国を加える選択肢があったかもしれませんが、幾つかの理由から含めなかったと考えられます。その一つは、バスケス政権内で中国・韓国・日本を訪問先のワンセットとして考えていたためです。これまでのバスケス大統領の外遊パターンをおさらいすると、遠方に訪問するときは複数国立ち寄ることを原則にしています。今回中国を含めてしまうと、韓国と日本の訪問を中心にしなければいけないので、今回は遠慮したと見ることができます。その意味で、この時点で既に日本はウルグアイ政府にとって重要な訪問先と見做されていないと勘繰ることもできます。

◆次に、現時点においても、ウルグアイと中国との間に横たわる或る「宿題」の答えを両国サイドで明確に共有していないためです。2006年9月、中国から呉邦国全人代委員長がウルグアイを訪問し(写真参照)、将来的に向けた経済・通商協定の締結を検討することに合意しました。ただし、どの程度まで検討するのか詰まっていないのではないでしょうか。一部報道ではFTAという選択肢もあるように伝えられていますが、中国は別に関心を寄せないでしょうし、ウルグアイ与党内左派が「中国・メルコスールFTA」という枠組みにこだわる限り、パラグアイと中国で国交が締結されていないため、非現実的な議論に終始してしまいます。

◆そんな折、12月下旬、バスケス大統領は来年キューバと中国に訪問するとウルグアイ外務省筋が語ったとの報道がされました。行き先を見る限り、なんとも左翼のガルガノ外相の発言らしいと思ってしまいます。そして、訪問先候補の中国ですが、過去数ヶ月間準備が進められており、2008年下半期に実現される見通しとのことです。

◆先ほど述べたバスケス大統領の外遊パターンからすると、この訪中の抱き合わせの候補として日本が入ってくるでしょう。他の候補ですが、バスケス政権発足の年に大使館を再開した韓国、そして前外務次官が大使として赴任しているインドが考えられます。韓国とは「メルコスール・韓国FTA」の研究会が行われており、今年は対韓輸出額も好調であるなど、ウルグアイ側にとっても訪問の機は熟しているでしょう。また、インドについてもこれまでTATA系列企業のウルグアイ進出など着実な経済面での実績を挙げています。

◆「それにひきかえ日本は・・・」というのが本論のポイントです。2007年の対日輸出額(速報値)は前年比マイナス25%の3,216万ドルになり、2007年ウルグアイ輸出額の大幅な伸びと比較しても、この貿易関係の冷え込み方は目立ちます(背景については別項で説明していきます)。

◆歴史にif(もしも)は禁句ですが、バスケス大統領の9月訪日が実現していた場合、対日輸出の主要産品である木材チップに関係する動きとして日本製紙がウルグアイに駐在員事務所を開設した直後であったことを話題にすることができましたし、地上デジタルテレビ日本方式の売り込み(又は駆け引き)の余地はあったでしょう(実際8月末にウルグアイ政府は欧州方式に決定)。現在、日本とウルグアイの首脳間で何をネタにして話をすればいいのか。二国間関係発展という大局を考える際、日本側はバスケス大統領の「政治家としてのカン」に信じてあげても良かったのかもしれません。

◆今後の見所ですが、中国本位で進められている「アジア歴訪・パート2」の訪問国に果たして日本が含まれるかどうかでしょう。2007年までに見られたウルグアイ側が日本側に気遣う流れは終わり、2008年はその立場が逆転するのではないでしょうか。ウルグアイ側は他の訪問国と比較しながら訪日可能性の検討を進めることでしょう。そもそも二国間関係発展に資する持ちネタがない日本側にとっては、この訪問後には「アジアの主要パートナー」の位置を失いかねない可能性もあります。更に、ネタがないから会う必要はないといった不作為によって訪問国にすら含まれなかった場合、これはバスケス政権中の二国間関係は停滞から脱することができなくなるでしょう。日本側は結果としてバスケス大統領に恥をかかせている前科があるというスタンスに立って取り組んだ方が得策でしょうし、その点を理解していないと、両国間のボタンの掛け違いの中で二国間関係が進みそうな気がします。
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◆2007年はウルグアイの政権与党・左派連合(FA)にとっては受難の年になったのかもしれない。ウルグアイの世論調査会社FACTUMは四半期ごとに「もし今週末に大統領選挙が行われた場合、どの政党に投票するか」という調査を行っている。今年に入って、FAは57%→52%→47%→44%と着実に支持率を落としている。この支持率は2002年のウルグアイ経済危機以降では最低のレベルである。

◆ウルグアイには主要な世論調査会社として、FACTUMのほかにCIFRAEquipos/Moriがあるが、支持率に関して、CIFRAではバスケス大統領の支持率が59%(6月)から46%(9月)に急落したと伝え、Equipos/Moriでは9月にバスケス政権の支持率を40%、不支持率27%と発表し、その差がこの半年で5%縮小したことを伝えた。総じて与党にとって厳しい数字ばかり目立つ。

◆このような支持率の低下の背景には様々な分析が出ているが、概して高まるインフレ率や7月から実施された税制改革などが主な要因であると伝えられている。特に、2005年大統領選挙で従来の2大伝統政党(コロラド党と国民党)からFAに乗り換えた中流所得層にとって痛みが伴う政策が続いたためとの見方がある。

◆冒頭のFACTUMの調査でもFA離れ・伝統政党回帰の傾向が紹介されており、国民党が31%(9月)→34%(12月)とFAを補完するように増えている。ただし、コロラド党は9%(9月)→9%(12月)と頭打ちの状態が続いている。一概に言えない部分もあるが、FAとの選択肢として、ウルグアイ国民はどちらかというとFAと思想的に近い国民党に対抗勢力としての期待を持ち始めていると見受けられる。

◆一方で、FACTUMのトップであるボティネリ氏(政治評論家)が面白い結果を紹介してくれた。それは、同社が先日発表したバスケス大統領の支持率である。9月の時点で47%まで下がり続けていたが、12月の調査では52%に回復した。これまで、バスケス大統領の支持率と冒頭調査によるFAの支持率は、一方が上がればもう一方も上がるといったように、足並みが揃っていた。ところが12月の調査によって、バスケス政権発足後初めて、バスケス大統領とFAの支持率が枝分かれする結果になった。

◆ボティネリ氏によれば、この調査結果の原因としては、(1)6月にバスケス大統領が再選を目指さないと述べたことでウルグアイ国民はバスケス大統領とFAを別の存在として見做すようになってきた、(2)バスケス大統領のいないFAに魅力を感じない集団が出てきている、と分析している。この調査結果がバスケス大統領の再選をウルグアイ国民が期待していることには直結しないが、FAは続いている支持率下降傾向に歯止めをかけて、2009年に行われる次期大統領選挙に勝つことを考え始めなければならない。FAにとっては2008年が鍵になる年になるだろう。
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◆久しぶりにウルグアイ情報に耳を傾けてみると、ブログに書きたいことが色々と出てきます。在ウルグアイ日本大使館では、ウルグアイのニュースをスペイン語で伝えるメール配信サービスがあり、現在でもほぼ毎日メールが送信されてきます。ただでさえ、情報寡少なウルグアイの情報の取っ掛かりを得る(またはスペイン語を忘れない)上では大変参考になります。ちなみに、自分の知る限り、このように公に対して継続的に情報を提供する在外公館はないはずで、小国の在外公館における情報提供の一つの試みだと思ってみています。

◆そこでメール配信された資料に目を通してみますと、12月11日付のエル・パイス紙の報道では、来年早々にバスケス大統領は幾つかの閣僚を交代する意向であると伝えられています。早速、エル・パイス紙そのものに目を通しますと、来年2月のバスケス大統領の夏休み明け(南半球なので、夏休み)には、閣僚交代を発表することを決めた模様と強めの論調になっています。

◆具体的な交代閣僚候補ですが、ベルッティ防衛相、ブロベット教育相、アラナ住宅土地整備相、ガルガノ外相(写真参照)の4閣僚。そして、外相の後任にはレプラ工業相が就き、工業相の後釜にはマルティネスANCAP(石油公社)総裁が就任する見通しと報じられています。ちなみに、最近でも外相交代の見通しにかかる報道がされていたようですが、その際の後任人事は、外相をジアネリ駐米大使として、駐米大使の後任にレプラ工業相を宛がうといったものでした。

◆この人事から垣間見えてくるのは、バスケス大統領は政権の前期と後期でスタイルを変えていきたいという意欲です。バスケス政権は今年9月で任期5年の半分を経過したことになりますが、前期の組閣人事は論功行賞の色合いが極めて濃いものでした。例えば、与党・左派連合(FA)の主要派閥の領袖はいずれかの大臣に就任していましたし、バスケス大統領が組閣を嫌ったとされるガルガノ上院議員・社会党党首(当時)に対しても最終的には外相ポストを渋々容認した経緯がありました。

◆皮肉にも、バスケス大統領のここ1~2年における政権の命題の一つは「いつガルガノ外相を追い出すか」ということでした。冷戦時代的な左派(というか左翼)の思想を持ち合わせているガルガノ外相が外交のトップにいたことで、ウルグアイの外交は硬直化し、大統領周辺の意向とは乖離した一貫性のないものになりました。例えば、米国との関係ではFTA(自由貿易協定)に至るチャンスがあったものの、嫌米で鳴らしているガルガノ外相が強硬に反対を続けたことで純粋な通商外交を通じた貿易の拡大がいつの間にか派閥間の政争の具に矮小化され、結果としてウルグアイは2006年9月、米国とのFTAを断念しました。

◆一方で、ガルガノ外相が夢見ていた左派の首脳陣が結束した中でのメルコスール(南米南部共同体)統合の強化は実現の程遠い状況にあります。一例を挙げますと、現在ウルグアイとアルゼンチンの間で紛糾しているセルロース工場問題は両国間の協議が相変わらず停滞している様子ですが、その交渉役としてバスケス大統領はガルガノ外相ではなく主にフェルナンデス大統領府長官に交渉を任せている状況が続いてきました。過去に交渉過程でガルガノ外相はアルゼンチン政府を怒らせる真似をした前科があり、バスケス大統領はその任から外したというのが実情です。ガルガノ外相のメルコスールへの片思いによって、ウルグアイは他のメルコスール加盟国(特にブラジルとアルゼンチン)から足元を見られており、交渉カードを持ち合わせていない状況に陥っています。

◆ウルグアイとアルゼンチン両国の紛糾をケースにみても、メルコスール(南米南部共同体)が一つの共同体として成り立つことの限界を垣間見るケースになっています。また、ウルグアイのような小国が外交で首尾よく立ち回る場合は、常に複数の選択肢を持ち合わせたなかで、本心を晒すことなく、相手国政府と交渉を行うことが好ましいことをここ数年で証明したのではないでしょうか。バスケス大統領としては、個人的な好き嫌い以上に、国益の関係からもガルガノ外相の退場をソフトランディングで進めていく方法をこれまで考えてきたと思われます。それが今回の閣僚の交代話なのでしょう。

◆ガルガノ外相交代の噂はこれまで何度も出てきていますので、本当に来年2月に交代するかは不明ですが、そろそろ次の大統領選挙(2009年)がちらついてきて、後継者にとって引き継ぎやすい環境に導くのが与党を引っ張るバスケス大統領の一番の仕事でもあるでしょうから、このタイミングでの閣僚交代は理に適ったものに思われます。
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