カテゴリ:ウルグアイの生活( 19 )

◆以前、ウルグアイワインの話をしました。その際には、東京の虎ノ門近くにあるワイン・ショップで確認できる以外は存在しないといったことや、一方で名の知れないブランドのウルグアイワインが日本に上陸しているようだとも言及しました。その後、その正体(?)を確認すべく少し調べてみましたので、今日はその報告でもしてみたいと思います。

◆はじめに、おさらいとして、ここ最近までのウルグアイワインの対日輸出については、ウルグアイ側にとって王道を歩んでいないような歴史がありました。例えば、糖分のないワインが2005年に1000ケースほど輸出されるとか、フランスのワイン会社がウルグアイワインを抱き合わせとして日本の会社に買ってもらったとかいったものです。必ずしも、ウルグアイワインの質が評価されたものではなく、「結果的に」日本に輸出されてしまったようなものが多かったように思われます。そして、メジャーなウルグアイのワイナリーはブラジル、北米、欧州を向いていました。

◆たしかに、ウルグアイでは、付加価値がつくという理由からボトルワインを日本に売りたがるワイナリーの担当者をたくさん見てきましたが、ウルグアイ在住当時、個人的にはボトルワインの輸出は時期尚早だと思っていました。そもそも在庫があまり気味である日本の買い手企業が取り立てて売り込み材料のないウルグアイワインの面倒を見るとは思いませんでしたし、彼らが売りたい価格帯と日本の市場のニーズとがマッチしませんでした。したがって、一部の日本企業の方々には、現地調査も含めて、まずは南米南部の一つの国として、ウルグアイ・ワインはバルクで買う可能性を検討してもらうべく動いた記憶があります(残念ながら商売としては結実しませんでしたが)。

◆一方、2006年から和香イマール社が試験的にウルグアイワインを輸入していることが確認できました。Valle Mariaというウルグアイでは必ずしもメジャーではないワイナリーからでしたが、ある日本人を介して輸入まで至ったようなことを仄聞しています。この会社は2007年秋からは本格的にウルグアイワインの輸入を開始し、2008年2月までに740ケースの輸入すると見られています。

◆また、調達元を増やすべく、ウルグアイで一番の名門であるJuanico、そしてモンテビデオの空港近くで展開するCarrascoといったワイナリーからそれぞれ900ケースと250ケース程度を輸入すると見られています。また、同社は先週行われていたFoodexで唯一のウルグアイワインのブースとして出展していました。

Juanicoはこれまでにも2001年に200ケースほどの対日輸出の実績がありましたので、それを比較しますと、今回の和香イマール社の力の入れようがわかります。今後の注目点ですが、今回の輸入分を果たして売り捌くことが出来るのかということでしょう。Valle MariaやCarrascoはマイナーなブランドである一方、Juanicoは一定の評価を受けることができるかもしれません。北米や欧州でもJuanicoは恐らくウルグアイワインの中では一定の支持を得ているようです。

◆ただし、一番のネックは値段です。今回のJuanicoのラインですが、クラシックが2,500円(タナット)と2,880円(タナット&メルロー、シャルドネ)であり、レゼルヴァが3,900円です。そこまで払ってウルグアイワインを飲みたいという人はそういないと思います。南米からは、これらラインよりも品質も良い他国のもの(例:チリのモンテス・アルファやアルゼンチンのマルベック種のライン)を1,500円~2,000円で手に入れることが出来ます。

◆また、ウルグアイ国内の大手スーパーでは、本日現在、クラシックが114.50ペソ(約550円)、レゼルヴァ149ペソ(約720円)で売られていることを考えますと、リスクに見合った価格設定というよりも競争相手がいないためという価格設定のようにも見受けられます(たしかにウルグアイ側でも仲介する企業がいることも承知はしていますが)。ちなみに、欧州ではこのJuanicoのクラシックのラインが1,000円周辺で購入可能と仄聞していることからしても、日本での価格設定は高めではないかとの印象を覚えます。

◆ウルグアイワインを最初から価格競争に晒すことなく、一つのブランドとして攻めることも一案なのかもしれませんが、知られていない状態でそのような高等な戦略を描いた場合、絵に描いた餅になり兼ねないのではないかと老婆心ながら思ったりします。とはいいながら、最後に、これらウルグアイワイン、4月以降にスーパーなどでお目にかかる機会があるかもしれません。ご関心のある方は直接和香イマール社に問い合わせては如何でしょうか。
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◆ウルグアイ滞在中、中国新聞でコラムを書いていたときに取り扱わせていただいた三上隆仁氏が日本でこのたび日本善行会から善行賞なるものを受けたという報道がブラジルのニッケイ新聞でなされていました。

ウルグァイで第二の人生実る=林産業振興に貢献=三上隆仁さん81歳=善行賞を受賞=JICA専門家から「永住」
 [モンテビデオ発]JICA(国際協力機構)専門家としてウルグァイに係わり、第二の人生をこの国に移して林産業の開発や振興に余生を捧げている三上隆仁さん(広島県出身)が永年にわたって国際協力に寄与したことが評価され、社団法人・日本善行会(川村晧章会長)より善行賞を授与さた。授賞式は去る五月二十六日、東京の明治神宮参集殿で行われ、賞状とメダルが三上さん(代理出席)に手渡された。
 三上さんは一九五O年三月、京都大学工学部繊維化学科を卒業と同時に興人人絹パルプ(株)に入社して繊維の開発に携わった。ノルウエー政府のフェローシップを受けて同国の紙パルプ研究所に一年留学の経験を持つ。七六年に興人社を依願退職し、以後はJICAの短期・長期専門家としてウルグアイの林業、林産品加工、紙パルプ品質改善などに九三年まで係わった。
 八〇年代に一時的にJICA専門家の立場を離れた時期があったが、この間は(社)海外林業コンサルタンツ協会のコンサルタントとしてウルグァイの造林や木材利用の調査に携わり、豊富な知識と経験を買われてウルグァイ国家造林五ヵ年計画の作成にも指導的役割を果たした。今ではウルグァイはユーカリや松などの早成樹種の育成による林業・林産のモデル国として世界的に知られているが、三上さんはそのモデル化に貢献してきた。
 最近はサンパウロでも援護協会などの支援で自閉症児の教育が注目されるようになってきているが、三上さんは九〇年代初期から首都モンテビデオで自閉症児教育を支援してきており、保護者と一緒になって自閉症児教育財団を設立した。副会長として今でも貢献を続けている。その教育のため、十年間にわたりJICA専門家(三枝たか子さん)の派遣を得ることにも成功した。
 近年はアルゼンチンとパラグァイの賛同者と一緒に草の根レベルのラ・プラタ流域再開発研究会を立ちあげた。将来はこの流域を日本に対する木材と食料の生産基地にすることをめさして頑張っている。
 一九九三年、JICA専門家としての役割に区切りをつけ、LATU(ウルグァイ技術研究所)顧問に就任し、ウルグァイ永住を決意した。同時にLATU総裁を会長とするNGOのオイスカ・ウルグァイ総局の発足にも係わり、国際理事に就いている。同総局が九六年に米州開発銀行(本部・ワシントン)より受託した林業人材育成プロジェクト実施の中核を担った。
 このプロジェクトと連動して展開された植林思想普及運動の一環として、文部省と共同で全国の小中学校に「子供の森」を定着させた。〇三年十一月にウルグァイを訪問された紀宮さま(黒田清子さん)を「子供の森」実施校にご案内する栄誉にも浴した。
 最近は、琉球大学の比嘉照夫教授が発明した有用微生物(EM菌)が農牧国家であるウルグァイに極めて有効であることを試験結果から確信して、その活用技術をナショナル・プロジェクトにすべく努力している。
 その一方で「貧困を減少するには人づくりを欠かせない。そのための早成樹種の植林とEM菌の活用をアフリカの人材を対象とする集団研修をウルグァイで実施すべくJICAに打診している」と善行賞を受けてもなお気概満々の八十一歳だ。八四年には日本の外務大臣表彰も受けている。


◆その時の中国新聞の自分のコラムでは書き込める文字数が限られていましたが、ニッケイ新聞の記事を見るとおり、三上氏の活動の範囲は、自閉症児教育、有用微生物、南米南部地域連携など年々広がっています。年齢が80歳を超えても矍鑠(かくしゃく)としている姿は驚かされるものがあります。

◆日本の反対側で30年近くにもわたって、決して私欲ではなく、公への貢献を大義にしつつ、自らの仕事に生き甲斐を持ち続けている姿は、高齢者社会を迎えた日本にとって、時代の先駆者の役割を担っているような気がします。また、そのような活躍に対して偉ぶるところがないのが三上氏の魅力なのかもしれません。

◆実は、今回の受賞の話も、自分のコラムを読んだ日本善行会の広島支部の方から中国新聞社に話があったそうです。はじめに三上氏に日本善行会から話が来ているとウルグアイ駐在時に連絡したところ、「そりゃぁ、広島への恩返しができたかのぉ。よかった」とその喜びが素直に現れていました。日本には馴染みのないウルグアイですが、二国間の絆を考える際、三上氏が行ってきた数々の積み重ねが非常に貴重な役割を果たしていることは知っておきたいと思います。
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◆夏真っ盛りのウルグアイ。その中にあって首都のモンテビデオは開店休業の状態。今日も目の前のランブラ(海岸通)を行き交う車の数は通常と比べると「ない」に等しい状態。自宅のマンションの眼下に見える比較的人気のあるレストランにおいても、日曜日の午後という書き入れ時にもかかわらず、お客はそれほど入っていない様子。

◆それもそのはずで、モンテビデオの多くの人々は、日常生活を忘れるためにモンテビデオを離れて休暇を満喫します。そういえば、先週、車の修理を頼もうと修理工に連絡を入れると「従業員は今週いっぱい皆休み」とのこと。ウルグアイの夏休みのコアなシーズンが1月上半期といわれている中では、電話した自分の方が「常識知らず」になります。

◆それでは、彼らはモンテビデオを離れて、どこに向かうのかというと、東に進路をとります。目指す先は綺麗な海岸又は砂浜です。海外の人々にも有名な場所としては、国内最大のリゾート地で、140キロほど東に行ったプンタデルエステがあります。この町を分岐点として、ウルグアイの場合、大西洋とラプラタ川に分かれます。

◆ちなみに、首都のモンテビデオにも「砂浜」はありますし、そこで多くのモンテビデオ市民は日光浴を楽しんでいる光景を目にします。一部の若者や子どもたちは日光浴では飽き足らず、水浴びをしています。外国からの観光客が以上の光景を見れば、立派な観光地に見えるかもしれません。しかしながら、厳密に言えば、モンテビデオの砂浜は「海岸」ではなく、先述のとおり、ラプラタ川の「川岸」になります。

◆モンテビデオの砂浜においても、風が強い日などは、日本の瀬戸内海の海岸より高い波を見ることができます。そして、本当の海岸に行く手間とコストを省いて、モンテビデオの波で我慢しているサーファーの光景を見ることができます。そして、手間とコストの省略からすると、モンテビデオで泳ぐ人々もそんなカテゴリーに入ってくるのかもしれません。ただし、果たしてモンテビデオで泳ぐことが衛生的に問題ないかというと不明です。ラプラタ川のモンテビデオのビーチには大腸菌群が一定の数以上いると過去に聞いたこともあります。モンテビデオにビーチがあると某有名観光ガイドでは紹介されていたりしますが、泳ぐことについては少し検討された方がよいでしょう。

◆また、先ほどレストランの話をしましたが、モンテビデオ市内の一部のレストランでは、この期間、夏季休業にするところが散見されます。従業員が休みに入るためという福利厚生の理由ではなく、「モンテビデオではカネにならない」ため。それらのレストランは、戦略的に動いていて、先ほど紹介したプンタデルエステに料理人などを期間限定で出張させます。夏のウルグアイでは、中心はモンテビデオではなく、プンタデルエステに移行するといっても過言ではないでしょう。

◆以上のように、ウルグアイ人すら相手にしないのが、この時期のモンテビデオ。個人的には、交通量は少なく、人通りも少ない閑散としたモンテビデオに居心地の良さを感じたりもしますので、仕事にはなりませんが、もう暫くこんな状況が続いてくれればと願ったりもします。
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◆今週末のモンテビデオは雨が予想されていましたが、実際に雨が降ったのは土曜日の午前だけ。それ以降は蒸し暑い晴天に恵まれています。新聞を見る限り、モンテビデオの最高気温はここ数日20度代後半を示していますが、ブラジル国境沿いのアルティガス(ウルグアイ北部)は既に最高気温30度代後半とのこと。ウルグアイは小国ですが、地域による寒暖の差は大きいようです。

◆土曜日は、日本からやってきたMさんをお連れして、モンテビデオ市内を一通り観光しました。そこで改めて気がついたのは、この町が朝型ではないことです。観光施設などの開始時間は10時又は11時の様子。お目当ての品が売っている店は、開始時間を決めていなかったということで、随分と暢気な町の様子を再確認しました。

◆さて、先に触れたお目当ての品ですが、それはモンテビデオの絵葉書です。モンテビデオでも写真の絵葉書は売っていますが、それらの多くは80年代から売れ残っているのではないかと思えるようなものばかりです。これは観光客に対してセンスがないなと残念な思いをしていました。その中で登場したのが、ポスター調のモダンなデザインのものです(図柄は第1回W杯が開催されたセンテナリオ競技場とそのポスター)。

◆このようにモンテビデオの名所をモチーフにしたものが現在では13種類ほど揃っています。そして、自分たちへのモンテビデオのお土産にしようということで、先日はが5枚ほどを並べたものを額に収めました(右写真)。これを見たMさんが関心を示したことで、土曜日の午前中は絵葉書の購入になりました。ちなみに、Mさんの購入枚数は20枚強。モンテビデオでは大口のお客様です(笑)。簡易に運べるオシャレな思い出の品になったと思います。

◆また、ローカルな話になりますが、ウルグアイのお土産を探している方への朗報として、12月1日から10日にかけて工芸品を集めたイベントがモンテビデオ市内(LATU)で開かれています(Hecho Aca主催)。ちょうど、この季節はクリスマス・プレゼントを購入する時期でもあるので、色々な展示会が開かれていますが、この時期のモンテビデオ市内ではこのイベントが一番のおススメです。筋の良いお土産店(露天商)が屋内の会場で一堂に会しています。土曜日にも行きましたが、もう一度ゆっくり歩いて回る予定にしています(妻のブログにも登場するでしょう)。期間中は毎日15時~23時まで。このあたりもウルグアイが朝型ではないところを垣間見せています。
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◆ここ数日暑い天気が続いていたかと思うと、昨日の15時過ぎからは風が涼しくなってきました。父と同じ職場出身のSさんは、その時間帯にモンテビデオ港を眺めていたようですが、「ちょうど暖かい北風から冷たい南風に変わったんだよね」と今日の昼にお会いした際に話してくれました。その後、数時間もしないうちに、雲行きは益々怪しくなり、夕方からは雨が降り始めました。

昨日のブログを書いていたのはちょうどそのとき。「分かりやすい」なんて調子の良いことを書いていましたが、それから何が起きるかということをその時は知る由もありませんでした。ただ、雲が厚く垂れ込めている兆候として、自宅の衛星放送が信号を受信することができなくなり、画面に何も映らなくなっていました。天気悪くなるなと思いながら、妻と夕食を摂りにレストランへ。

◆昨日(11月15日)は、入籍記念日。3年前のその日の午前中、妻と自分の両親と散歩しながら東京の中野区役所まで書類を届けに行ったことを思い出します。ちなみに、自分の両親はその日を「結婚記念日」と位置付けて、昨日もメールでお祝いの言葉。果たして、入籍と挙式のどちらが正式な結婚記念日なのかは知りませんが、「2回お祝いしよう」と纏まりつつあります。

◆ただ、少し気張ったレストランでオシャレをして出掛けるのは珍しく、「珍しいことをしたから雨が降る」と思うよりも先に、雨は激しく降り始め、レストランに着く頃には雷が落ちていました。こういう時には本当に雨が降ると夫婦して納得しました。

◆ただし、「珍しさ」の度を超えていたのかもしれません。雨脚と雷は更に激しくなり、「停電になるな」と思っていると、案の定停電になりました。自宅だと不自由を感じるのかもしれませんが、その日は運良くレストランということで、ワインを飲みながら、良く見えない中で前菜を摘んで、自宅ではやらないような真面目な話をしていました。ロウソクの火がテーブルの上に灯されていて、記念日のちょっとした演出も伴っていました…。

◆さて、翌朝の新聞を読むと、昨晩の停電の様子が一面に掲載されています。停電の被害は国土の南半分に及んでいました。こんなことは3年間で初めてです。ウルグアイは日本の半分の国土ですから、ウルグアイ人の感覚から捉えると、日本でいうところの関東地方から近畿地方にかけて全て停電になったようなインパクトなのでしょう(終わってみれば大したことはないのでしょうけど・・・)。また、新聞に載るということは「珍しい」からであり、そこは他の発展途上国とは違うということを知っておくのも良いかもしれません。

◆冒頭のSさんですが、ちょうどその時間からモンテビデオ港で仕事があったために、とんだ災難に遭っていたとのこと。「ホテルの周辺では水が溢れているし、街は真っ暗だし…」と異国の地で少し怖い思いをしたようです。ただ、これも他の或る南米の国とは違って、暗闇になっても、不安がることはないのかもしれません。実際に停電に便乗したような犯罪は起きなかったようです。南米の田舎といえばそうなのでしょうが、人々の美徳も残っているということなのではないでしょうか。
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◆今日は、先月後半に中国新聞で掲載されたレポートをお伝えします。普段掲載してもらっている「世界の街角から」ではなくて、「くらし」面からの掲載とのことで、ネットでは公開されませんでした。その記事の導入句としては、「日本の反対側にあるウルグアイで、第二の人生を林産業の開発・振興に捧げ、成功に導いた広島県出身者がいる」とつけてもらいました。それではどうぞ。

 三上隆仁さん(81)は、一九二五年生まれ。尾道出身で中学・高校時代を広島市内で過ごし、一九五〇年に興国人絹パルプ会社(後の興人)に入社。技術畑で活躍してきた。大きな転機がやってきたのは、長年勤めていた企業が倒産の憂き目に遭った一九七五年。年齢も五十歳に達しようとしていた。

 この局面で三上さんは、興人の管財人で会社再建王としても有名な早川種三氏から「人類の奉仕を目的とする仕事を選ぶように」と助言され、自らの能力を頼りに、技術協力の道を歩み始めることを決断した。そして、一九七八年、ウルグアイを訪れることで大きな一歩を踏み出した。

 当時のこの国は、牛肉や羊毛などの牧畜業一辺倒であった。しかし、第二次世界大戦以降、国際競争力を失いつつあった。日本の半分の国土に三〇〇万人ほどの人口しかいない中で、牧畜の目的以外、大半の国土はほぼ手付かずであった。

 JICA(現・国際協力機構)の専門家としてウルグアイにやってきた三上さんは、植林の可能性を自らの目で確かめるため国内をくまなく調査。その結論として、ユーカリや松を植林し、将来は紙パルプ産業を輸出産業に育てることが可能だ、との見解を持つに至った。
 
 その後、彼は自らの見解への理解を求めるため、ウルグアイ政府、業界、学会などを歩き回ってコンセンサスを得た。その結果、ウルグアイ政府は紙パルプ産業開発についての技術協力を日本政府に要請した。
 
 それ以降、三上さんは両国の橋渡し役を務め、現在でもウルグアイの技術研究所顧問として活躍している。こうした長年のリーダーシップによって、林産業の礎が築かれ、最近の林産業の急成長はめざましい。なかでも欧米企業による十億ドル規模の紙パルプ、製材、植林等の新規投資計画が近年相次いで立てられており、これまでの「牧畜の国」というイメージをくつがえす可能性を秘めている。

 また、日本との貿易では、ウルグアイの対日輸出の約八割を、製紙原料である木材チップが占めている。もしかすると、今読んでいるこの新聞紙にもウルグアイ産の木材チップが混ざっているかもしれない。
 
 一方で、三上さんは、人々に植林の大切さを根付かせない限り産業の振興に結び付かないという信念から、NGOを通じて植林の普及活動にも尽力している。なお、この活動は、紀宮さま(黒田清子さん)が当国にご訪問された際にも紹介された。

 「第二の人生は、相手の国が身銭を切ってでも雇ってくれるくらいでないといかんよ」と三上さんは広島弁で熱く語る。自らウルグアイの林産業をゼロから育て上げた自負が伝わってくる。一生働き続けることを使命とした或る広島県民の開拓者精神が輝いている。


◆このように「プロジェクトX」のような話がウルグアイにもあったのです。その三上さんですが、今も現役でがんばっています。とても80歳を超えているとは思えないほど、溌剌とした姿。50年後自分はここまで元気なのかなと本気で思ってしまうほどです。そして、掛け値なしで、彼の存在がなければ、ウルグアイの林産業がここまで順調に育ったかは不明です。彼は「日本政府やJICAが頑張ったけぇの~」と言っていましたが、三上さんのようなファシリテーターがいないと物事は前に進まなかったでしょう。ウルグアイと日本の二国間関係を考えるとき、日本の支援が成功した例の一つになっています。
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◆随分とご無沙汰していましたが、先週は休暇をもらって、大西洋を眺める日々から一転、太平洋を眺める日々を過ごしていました。場所はイースター島とタヒチ。現在は、帰路の経由地、サンチャゴから書いています。

◆後から気がついたことですが、イースター島も含めて、これらの島々では、日本の新婚旅行者らしい人々を多く見かけました。日本からタヒチまでの直行便が出ていて、それが11時間程度。そこからイースター島までが4~5時間程度なので、新婚さん達の発想からすると「折角、タヒチまで来たのだから、序にイースター島まで・・・」ということになるようです。

◆つまらないことかもしれませんが、これって、海洋国家的な発想だな、なんて。というのも、恥ずかしながら「イースター島=チリ」という発想から脱却できていなかった自分にとって、イースター島の行き方とは、成田→米国→チリ→「イ」島とばかり思っていました。これだと、所要時間が40時間近く。したがって、「イ」島まで遥々やってこようというのは、退職後の時間的な余裕のある方々ばかりだと錯覚していました。やはり現地にいかないと見えてこないものがあります。

◆そんなことを思っていると、エクアドル出身の自分の母親が32年前にこの「南方太平洋ルート」を使って日本にやってきていたことが判明。そういえば、微かに「日本にやってきたとき、タヒチを経由した」という彼女の話を聞いた記憶がありました。当時はエールフランスで南米からタヒチ経由で日本行きの便があったとのこと。当時から入国チェックの面倒な米国を経由せずに日本にやってくる便利なルートがあったのかもしれません。

◆今回の旅行では、あれだけの日本人旅行者の存在を空港やホテルで確認しながら、彼らと街中でご一緒する機会はありませんでした(レストランでのゲストブックなどへの書き込みも僅か)。ウルグアイからの旅の手配ということで、スペイン語の集団に投げ込まれたのがその理由なのかもしれません。一方では、日本人のパック旅行の場合、海外に触れているようで、実際の行動は相当制限されているのではないかというのが新しい発見でした。ただ、これもバックパッカー達がいる旅行先では別でしょうけど。

◆ちなみに、イースター島では、現地旅行会社の日本人社員の方に日本語を話す機会がありましたが、先方からは「日本語お上手ですね」とお褒めの言葉。容姿がその理由なんですが、日本に一瞬だけ近づいたようで、やはり一定の距離を感じてしまいました(苦笑)。そうして、日本の旅行客とは逆のルートでイースター島から欧米系の旅行客と一緒に南米大陸へと飛行機で飛び去っていったのでした。

◆旅行記めいたものは次回以降書いていこうと思っています。
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◆日曜日のモンテビデオは好天に恵まれて、市場の散歩では飽き足らず(?)、夕方近くになってから二人して、自宅から5分程度のところにあるゴルフ場までゴルフクラブを持ってお散歩を楽しむことに・・・。

◆おそらく日本のゴルフ場だと、「1番ホールから・・・」なんて固いことを言われそうですが、このクラブでは日曜日の午後ともなるとプレーしている人は疎らですし、「ゴルフクラブ」とは名前がついていますが、大方の人々はそもそもゴルフには興味がないのも事実。僕らも8番ホールに近いところで車を止めて、「あそこからスタートしようか」と誰に気をとめることなく、悠々自適なスタートしていました。

◆そんな二人の関心事がスコアであるわけがありません。今回のゴルフ場での一番の楽しみは「テロ」・・・。といっても、昨今、先進諸国等々で賑やかになっている「アレ」ではなくて、写真の「ソレ」です。

◆この国で「テロ」とは、国鳥でもあるこの種の鳥を指します(ちなみに、今回、ネットで「テロ」と書いてしまったために、このブログが要警戒の対象になることもないでしょうけど・・・(苦笑))。

◆毎年この時期に丁度卵から雛がかえるようで、このゴルフ場では所々に卵を温めている雌鳥とそれを見張っている雄鳥の対が見られます。プレーヤーが誤って雌鳥に近づいてしまおうものなら、雄鳥がケタタマシイ泣き声で注意を喚起し、場合によってはプレーヤーに襲撃してきます。

◆先週、8番ホールのフェアウェーで卵を温めていた雌鳥が、昨夕訪れてみると、既に雛のテロを見守っていました。なんとも微笑ましい光景に、本当心が安らぎます(Fさん、先週誤って踏みつけそうになった卵たちが無事にかえりました(笑))。

◆もうこうなると、ゴルフどころではありません。少しでも多くの雛鳥を見たいばかりに、球ころがしをしながら、球よりも、「テロ」探しに没頭するのでした。
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◆好天に恵まれた日曜日、夫婦揃って市内中心部で開かれる青空市場に足を伸ばしてきました。車道を日曜日だけ市場に仕立てて、そこに果物や野菜、工芸品、骨董品とは呼べないほどのガラクタ、海賊版のDVDやCD、小動物、そして盗品(?)が陳列されています。ここに来れば、何かは見つかるといった感じです。

◆別に青空市場で何を買おうとしていたわけではありません。そんなことでブラブラと歩いていると、久しぶりに友人パブロと遭遇。彼は木彫士で、ウルグアイ独特のデザインなどを用いた工芸品を作っています(例えばこれ)。お店を持つわけではなく、市場を転々として生計を立てていますが、腕は一流です。かなり前に、自宅近くの市場から立ち退かなくてはいかないという話をしてから、暫く会っていませんでしたが、最近はこの青空市場と旧市街で観光客相手に商売ができている様子。これからに期待しているウルグアイ人の一人です。

◆うれしい再会をしながら、足は骨董品屋さんに。青空市場に並んでいるのはガラクタばかりですが、その脇にある建物のなかに入るとなかなかの物が散見されます。何せ、その昔ウルグアイには、金持ちがいたわけで、その遺産を今も切り売りして成り立っているような国です。「あるところには、ある」のです。ただ、僕はそんな一流品を見極める眼識を持ち合わせていませんし、無い袖も振れません。観賞用として立ち寄らせてもらっています。

◆そんな中で、最近のお気に入りは、ウルグアイ建国100年を記念して作られた砂糖入れ。これまで同じタイプの角皿やソーサーは見たことがありましたが、砂糖入れは初めて。最初、僕は「似非じゃなかいか?」と思いましたが、妻が即座に「そんな手の込んだ偽物をウルグアイでは作らない」と僕の見解を一蹴。確かにそうかなということで、購入しました。ちなみに、これは別の青空市場の掘り出し物で、20ドル。建物を構えるような店では100ドル近くで吹っかけられるので、お得な買い物になりました。まあ、偽物であっても、いい記念品になるなと思っています。
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◆久しぶりに何も予定のない週末を迎えました。一念発起、夫婦でゴルフという名目でゴルフ場を散歩しようかと考えていたところ、外は朝から深い霧。寝室から寝ぼけ眼で外の濃霧を確認すると、「これはダメだ」と判断。再び安眠を貪っていました。

◆先日までの段階では、モンテビデオまで飛行機で1時間程度のところにあるブラジル南部のポルトアレグレまで出張でやってきている幼馴染のKくんに対して、彼が今日(土曜日)オフということなので、「やってきたら?」と誘いを掛けていました。残念ながら、調整がつかずに未遂で終わりましたが、この天気では飛行機が飛ばないという最悪の事態になっていましたね。物事はうまくまわっているんだな、と再確認。

◆天気が良好になってきた午後から、妻の要望にこたえて、今週から始まっているウルグアイ国内の食品類を集めた物産展を見学。地方のお店も一堂に会するとのことなので、どんな掘り出し物があるのかなと思って出かけてみました。

◆といっても、展示会場にそれほどバリエーションのある食品類があるわけではありません。チーズ、ジャム、リキュール、チョコ、ビスケットなどなど。極めて似たものが各々のコーナーで展示・直販していました。ほんと、「自分の家で作っています」といったレベルのものばかりです。

◆まあ、展示会の主旨からして、商売目的というよりも、郷土愛を確認するといった風合いが強かったのは事実。ウルグアイから外に向けて商業ベースに乗りそうなものは一社としてありませんでした。ただ、こんな零細でやっているブースで見ても気がつかされるのは、年々包装パッケージなどの商品の付加価値をつけるところに対して生産者が注目し始めたということかもしれません。これは望ましい変化ですね。

◆今年の後半には、食品だけではなくて、工芸品を含めた物産展が開催される予定。昨年の展示会では、なかなかの掘り出し物がありました。細々と家族経営でやっている店が主流となっている長閑な国ではありますが、それはそれで味わいがあるのかもしれません。
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