<   2006年 12月 ( 10 )   > この月の画像一覧

◆クリスマスを跨いで両親夫婦と一緒にガラパゴスに旅をしました。本来であれば、両親夫婦の結婚30周年記念に訪問することになっていたのですが、その年に自分達夫婦の挙式があったために、計画が流れてしまったとのこと。その後、結婚35周年に訪問する予定にしていたようですが、それを2年ほど前倒しにしてもらいました。

◆ガラパゴスというと、どうしても自然の宝庫であり、希少動物が生息する最後の楽園のような印象がありますが、エクアドルから1,000キロ程度離れた孤島の群れであるものの、人口はゆうに1万人を超えていますし、中心地とされるプエルト・アヨラはれっきとした町であり、数ヶ月前にイースター島を体験した自分としては、ガラパゴスの予想外の発展ぶりに驚かされました。

◆イースター島と同様に、ガラパゴスは基本的に観光業を生業としていて、それに従事する人々が中心に島の社会は形成されています。ガラパゴスが商業目的に観光が開始されたのが1969年といいますから、思ったよりも最近の話です。また、これもイースター島と同様に、外資の開発を禁止しているため、グローバル化以前の牧歌的な助け合いの精神が仕事の中に成り立っています。秩序化且つ透明化される以前の社会なので、ガイドの案内する店が友人の店ということは容易に想像されるわけで、そのようなことによって親類縁者が支えあっている構図が垣間見えてきます。

◆ガラパゴスへの上陸に際しては、国内居住者は6ドル、海外からの観光客には100ドルの入島料がかかります。統計によれば、04年にガラパゴスに訪れた人々は10万人強とのことで、その内訳が外国人7割:エクアドル人3割とのこと。そのようなその歳入は国庫ではなく、ガラパゴスの島々に還元されるそうで、島への上陸への値段の高さを感じつつも、島のために役にたつのであれば納得した次第です。

◆余談ですが、同島には、大型外資の参入はなくとも、一泊500ドルという桁違いのホテルが存在します。そこの従業員から話を聞いた限りでは、同施設の利用者は北米を中心とした観光客のほかに、エクアドルの国会議員がお得意様とのこと。「会議」と称して、同施設を予算という名の税金から落としていることは未だ想像の域を出ませんが、規模は違えど、どこの世界も似たような光景が散見されます。

◆いずれにせよ、そのような様々な「観光客」のお陰で、島の失業者はいないようですし、物乞いも存在しない、エクアドルでは理想的な光景を目にすることができます。現在の島の村長も堅実な行政をしているとのことで、観光を通じて中央政府に流れようとするおカネをどのように島に留めておくのかということを思案していると聞き及んでいます。
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◆ウルグアイからエクアドルの移動や、先日のガラパゴスまでの旅でも、その移動手段は当然飛行機。空港やそれぞれの機内では色々とこれまでとは違った光景が見えてきます(例えば、最近改装したグアヤキル国際空港)。

◆2年前のエクアドル訪問の際にそれほど気がつかなかった存在が出稼ぎのエクアドル人たちです。それもちょうどクリスマス・シーズンと重なっているからか、家族連れでの行動となっていて、目立っています。例えば、パナマからエクアドルの港町グアヤキルまで飛行機に乗ったのですが、そこにはエクアドルの実家への帰省客が数多く乗り合わせていました(自分もその一人と言われてしまえば、それまでですが・・・)。クリスマスを故郷に住む親家族と過ごすという殊勝な心持ちなのでしょう。ただし、それらの人々は、米国に正規のビザを有している人々に限られています。

◆そのパナマからのフライトですが、偶然でしょうが、自分達の座席の周辺にはそのような家族連れの家族が多く、約2時間の行程はなかなか騒がしいものでした。そのなかの一人の坊やはクリスマスということで嬉しかったのでしょう、音程の外れたジングルベルを歌っていました。ただし、それはスペイン語ではなく、英語。風貌や血はエクアドルでも、国籍は米国という次の世代が増えているようで、子供の国籍を活用して親たちも米国籍を獲得している話も聞こえてきます。既にエクアドルを含めた周辺諸国では当然の光景なのかもしれませんが、同じ南米のウルグアイではまずお目にかかることの出来ない光景なので、新鮮でした。

◆先進国に渡って出稼ぎで財を成す人々に対するエクアドルの一般市民の視線についても、昔とは大きく変わってきたと思ったのが今回の訪問の収穫でした。恐らく本当の上流社会には別の見方があるのでしょうが、一般生活において出稼ぎ者及びその家族に対する偏見の敷居は大きく下がっているように感じました。街でも出稼ぎ出身とわかる集団がクエンカの街で幅を利かせていますし、クエンカの小規模な店においてサービス精神がある人物は案外米国からの出稼ぎ帰りだったりします。

◆また、今回のガラパゴスの旅行でもパッケージのツアーを頼みましたが、そこには出稼ぎ出身と分かる家族が親を連れ10人近くでツアーに参加していました。恐らく、10年前であれば、出稼ぎ者がそのような消費パターンをとらなかったでしょうし、他の客の中にも彼らが参加することに違和感を感じる人々がいたのかもしれません。

◆外から見ていると、出稼ぎ者とその構成員の多くを占める「先住民」を同一視してしまいますし、更に「先住民」という括りでエクアドル社会の中で虐げられている集団と見る向きもありますが、そのような集団の中にも様々なタイプがあって、エクアドルの場合、単純にはいかない融合の作用が働いているような気がします。そして、「先住民」の所得向上のための一番の近道が出稼ぎだったというふうに、経済開発に携わる人々にとっては少々皮肉な現実もあったりします。

◆また、出稼ぎ経験者という集団が持つ意識については、今年行われたペルーの大統領選挙で見られた傾向とは異なるものだと思われます(ペルーの場合、出稼ぎ者の多くは親米&FTA推進でした)。彼らが中長期的にエクアドルの社会や政治にどのような影響を与えるのか、少し興味を持ち始めたところです。
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◆長らくご無沙汰していました。ここ暫くウルグアイを離れています。年末年始を過ごすのは、アンデス山脈標高2,500メートルにあるエクアドルのクエンカという街。ここに自分の実家があるのですが、帰省は2年ぶり。また、初めて自分の目でエクアドルという地を訪問してから、今年でちょうど四半世紀の月日が過ぎました。

◆25年間の移り変わりはさすがに大きく感じます。まず、クエンカが「町」から「街」に変わりました。また、観光都市としてインフラ整備が近年急速に進み、綺麗な場所へと変容しました。そして、インディオの民族衣装をした人々が減った気がします。クエンカの空港は昔のままの場所にありますが、その周辺にひしめく住居の数は、10~15年前から急激に増えた気がします。

◆それら様々な「変化」が引き起こすアクターとなっているのが出稼ぎ者です。エクアドルから米国又はスペインへの合法及び非合法の移民が大量に訪れており、彼の地で職を手にしながら、本国(エクアドル)への海外送金をいそいそと行っています。その資金が本国では住居や乗用車等々に化けています。また、出稼ぎ者を持つ親族関係者の消費意欲はなかなかなもので、大手資本のスーパーは彼らの消費をあてこんで、設備投資を続けています。

◆クエンカの変容ぶりについては、先日訪れたガラパゴスで知り合ったクエンカ出身の20代の学生さんも同様の印象を持っていました。例えば、クエンカ市内のスーパーマーケットにおいて品物で台車を山盛りにした人々や米国でも購入に億劫になりそうな高級大型車が多数走っている光景が昔と比べると信じられないとのことでした。ちなみに、その学生さんも今はロサンゼルスで生活をして、年末年始を使ってエクアドルに友人と戻っているとのこと。エクアドル人も豊かになりました。

◆また、「911」の発生によって、エクアドルから米国への出稼ぎ労働者の環境にも黄色信号が出ていた節がありましたが、エクアドルの労働者の出超傾向が止んだという話は聞きません。今日も街を歩くと、インディオの衣装を身にまとった人々が行列を成している光景に遭遇。何かと思うと、それは日本でいうところの「宅急便」屋さん。米国に住む出稼ぎの親族にクリスマスや年末年始に故郷のものを送るために並んでいるとのことで、そこには家族の繋がりが垣間見えます。出稼ぎ者の固い絆のベクトルは米国からエクアドルへの一方的なものではなく、相互に向かっているものだと再認識しました。

◆そんな変化の中でも、「世界遺産」に登録されているクエンカの旧市街を求めて世界中から旅行客が今日もやってきています。当地で生活する者にとっては、渋滞に悩まされる旧市街に行くことは手控えがちですが、徒歩で旧市街を楽しむ観光目的の旅行客にとっては、なかなか風情のある良い街であることは間違いありません。エクアドルの中では、首都のキトよりもエクアドルらしいコロニアルな趣を残した街になっています。
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◆蒸し暑さを残す昨夕、明日(日曜日)の天気予報を見ると、「雷雨」。折角の週末に出掛けようと思っていたので残念に思っていました。夜半を迎え、外は次第に怪しい雰囲気に、風が冷たくなってきたかと思うと、ラプラタ川の沖では雷の連続。その30分後から「本格的な」雷雨がやってきました。最近体験したことのないようなラプラタ川からの雨風の影響で、自宅リビングの窓ガラスは、今にも割れて飛び散りそうな気配。随分と遅くまで心配していました。

◆さて、前回のブログでも少し触れた半期に一度開催されるメルコスール共同審議会。先週後半には大臣会合ということで、加盟各国から外相と経済財務相が出席し、協議が行われていました。ウルグアイの主要各紙は、その時の様子を記事にしていますが、そのトーンは「メルコスールにとって最悪の時期」といったものです。

◆この大臣会合の中心人物はアストリ経済財務相。このブログにも度々登場してきますが、経済財政(場合によっては通商)政策を束ね、実質的な現政権の首相のような役割を担っています。このアストリ大臣、同会合の席で、彼の中で鬱積している不満をウルグアイ政府の見解として発しました。

◆その内容は、(1)アルゼンチン国内で地方の「環境団体」等行っている道路封鎖はメルコスールの憲法ともいえるアスンシオン協定第1条に違反するが、アルゼンチン政府は一向に事態解消にイニシアチブを発揮していない、(2)ブラジルについては、メルコスール議長国でありながらも、先のアスンシオン協定違反に対して、指一本も動かそうとはしないリーダーシップの欠如が顕著であり、このことに代表されるように現在メルコスールにはリーダーシップを発揮するアクターが存在しない、(3)ウルグアイにとって、加盟国内の大国と小国の格差は深刻であり、特に小国(ウルグアイ)がメルコスール域外諸国との通商協定(具体的にはFTA)を結ぶことを大国は容認すべき、等々といったものです。

◆(1)については、タイアナ・アルゼンチン外相から、同国政府も道路封鎖の解消には動いていると説明しつつ、「環境団体」の動きの根底にはウルグアイのセルロース工場建設及びウルグアイ川協定違反の存在を指摘。更には、ウルグアイが最近アルゼンチン国内の4州で生産される製品の輸入に対して付加価値税相当の関税を加えていることがアスンシオン協定違反であると抗議することで、双方の議論は噛み合わずに終わりました。

◆(2)については、前回のブログでも若干説明しましたが、ブラジルは2006年下半期において自国の大統領選挙があったため、メルコスールに構っている状況ではなかったというのが本音でしょう。したがって、アルゼンチン国内の道路封鎖問題に起因するメルコスール域内の移動・交通の自由という根本的な問題についても、アルゼンチンとウルグアイの二国間で解決して欲しいといったものでした。この問題は、解決の目途が立っていないため、誰も腫れ物に触りたくないのでしょう。南米域内で存在感を示すために介入をしばしば行うチャベス・ベネズエラ大統領も動いていない点からしても、察することができるのではないでしょうか。

◆(3)については、ブラジルは何もしていないわけではないというのがブラジル政府側の見解です。具体的には、メルコスール域内での小国側からの輸出に対するローカルコンテンツ率の容認(60→70%)や対外共通関税の二重徴収の撤廃を提案しています(アルゼンチンは同提案に対して「検討したい」と態度保留)。しかし、アストリ経済財務相は、このレベルの改善策では意味がないと指摘し、本日の当国主要紙とのインタビューでも表明していますが、あくまでメルコスール域外との通商協定の自由を求めていく方向です。ちなみに、アストリ大臣の路線については、これまでもアモリン・ブラジル外相なども「対外共通関税の原則をいじくることは、メルコスールの心臓部にかかわること」と強硬に反対しています。

◆それでは、ウルグアイが一枚岩なのかというと、これが微妙なところです。まず、同席していたガルガノ外相は、アルゼンチンによる道路封鎖についてはアストリ大臣と同調していましたが、(3)については個人的には反対しています。そのことは、彼が対米FTAに最後まで反対していたことからも類推できますし、実際に今回の会議でも域外の通商協定に対しては及び腰の発言を滲ませています。また、バスケス大統領がアストリ大臣並みに覚悟を決めたのかというと不明です。昨年9月にブラジルで行われたウルグアイ・ブラジル首脳会議において、バスケス大統領は「対外共通関税の原則をいじくらない中での対米FTA」という矛盾に近いような発言をしています(関連ブログは2006年9月11日付を参考)。

◆ウルグアイのメルコスール不信は日々強くなっていますし、今月9日付にも書きましたが、アストリ経済財務相はチリとのFTAの可能性など、次の一手を考えています。ただし、一方では、同相としては、現実的なアプローチとして、2007年上半期の議長国が同じメルコスール域内小国のパラグアイであることに期待をしており、同期間で何とかウルグアイの主張を反映させていきたいと考えている様子です。ウルグアイがどこまで本気かについては、来月リオデジャネイロで行われるメルコスール首脳会議を見てみると良いのかもしれません。
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◆格好の快晴で、風は爽やかに吹いています。自宅でじっとしているのも何なので、ダウンタウンで夫婦して散歩。気がつけばモンテビデオの半島の先まで歩き続けていました。さすがに数時間も散策を続けているとじんわりと汗が出てきました。

◆さて、ウルグアイですが、経済は順調で、先週発表された第3四半期のGDP成長率は昨年同期比で7%超とのこと。成長のスピードは鈍化していますが、政府関係者の誰もが今年は7%行くだろうとの見通しを立てているなかで、非常に楽観的な空気が流れています。そのような風潮を反映しているのか、昨日自宅近くのショッピングセンターで行われたクリスマス・バーゲンでも深夜1時を過ぎても立錐の余地がないような大賑わい。購買意欲は非常に高まっています。ちなみに、自分達も少しは目的の品があったのですが、長蛇の列を前にして、購入を断念しました。

◆このような経済面の好調とは裏腹に、順調に行っていないのが外交面。今日話をするのは、ウルグアイとブラジルとの関係についてです。先々週あたりからメディアでは、ルーラ・ブラジル大統領がウルグアイを訪問すると報じており、数日前にはそれが翌週18日とまで報じられていました。ルーラ大統領のウルグアイ訪問に対してウルグアイ政府が非常に高い期待をしていたとも聞こえてきていました。

◆推測するに、ウルグアイ政府がルーラ大統領訪問に対して高い期待を示していたのは、二つのテーマがあったかと思います。それらは、(1)アルゼンチン国内におけるウルグアイ国境沿いの道路封鎖、(2)メルコスール域内における大国と小国の格差是正対策。ウルグアイ政府は、この二つのテーマに対してブラジルから何らかの声明又はイニシアチブが図られるのではないかと期待していたのではないでしょうか。ブラジルは今年下半期においては、メルコスール(南米南部共同体)の議長国であり、リーダーシップを取る資格のある国とされていました。

◆ウルグアイがこのタイミングでルーラ大統領がイニシアチブを発揮するのでは見た理由としては、10月における大統領選挙が終わり、政治的に余裕が出てきているからと見ていた節があります。大統領選挙前に(1)を実施して未遂に終わった場合は、ブラジルの威信だけではなく、ルーラ大統領の適性まで対立候補者に責められるだろうと思われたためです。ウルグアイ側も、ブラジルの仲介がある場合は、大統領選挙後であると見ていたように思われます。

◆また、(2)については、これまで、7月の時点で、アモリン・ブラジル外相がウルグアイを訪問し、格差是正に向けた大型計画を目指すと表明していました。同外相の発言をウルグアイ政府は額面通りに受け取り、過去の空手形を忘れ、「今度こそは・・・」と期待した向きがあります。7月に出した同外相の手形については、当時進められていたウルグアイ政府による対米FTAへの牽制球という意味があったのですが、最終的には対米FTA反対勢力の拠り所にもなった部分があり、ルーラ大統領が訪問すれば、格差是正について前進すると縋るような思いにまでなっていたような気がします。実際、このような空気を代弁していたのは対米FTAを反対したガルガノ外相率いる外務省だと見ています。

◆ところが、ウルグアイ側の高い期待を嘲笑うかのように、昨日の当地主要各紙の一面には「ルーラ、ウルグアイ訪問をキャンセル」と報じられました。過去にも、ブラジル大統領選挙直後に開催された11月上旬のイベロアメリカ・サミットの際に、ルーラ大統領訪問する話もありましたが、そのときも欠席。挙句の果てには、会議を休んで国内のビーチで保養している様子が撮影され、失笑を買っていました。いずれにしても、同大統領が自らの主導権が確保されない中での政治イベントの参加には何の価値も見出していないのでしょう。そして、ウルグアイへの仁義などは最初から存在していなかったのです。

◆「今度こそは・・・」と適わぬ期待をする集団がバスケス政権にも多数いて、「メルコスール重視」ということが与党・拡大戦線党の綱領に存在することは確かです。同綱領を逸脱した外交戦略の展開には政治的なコストがかかることも容易に想像されます。ただし、メルコスールが発足してから15年が経過したなかで、いつまでもやる気のないリーダー(ブラジル)の気まぐれに付き合わされることが妥当なのかどうか、次の一手を考えてみても良いのではないでしょうか。今週はブラジリアでメルコスール加盟国一同が会していましたが、ウルグアイが何を言ったのかに注目したいと思っています。
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◆ウルグアイは暑い日々が続いています。クーラーもかけずに職場で机に向かっているとじんわりと汗が滲み出てくるような季節になってきました。自宅で拙文を書くような日暮れ以降(21時以降)になりますと、少し涼しい風が吹き始めます。これが日本の夏の熱帯夜との違いなのかもしれません。お陰でウルグアイの3年間、自宅にクーラーがなくても過ごせています。

◆今朝、職場まで運転するラジオから聞こえてきたのは、セルロース工場建設問題における主役の一方であるENCE社のお話。9月下旬に当初の工場建設計画を断念し、それ以降ウルグアイ国内の新たな建設場所を模索しているなか、景気のよい話が同社からは聞こえてきませんでした。何よりも同社の新社長がアルゼンチン政府べったりとの報道が計画見直し発表以降から流れ続けており、ウルグアイ政府にとっては喉から手が出るほど欲しがっている外資による大型投資案件ではあるのですが、どうしても信頼に足る存在ではなくなっているというのが率直な国民感情になっています。

◆そんな折に、新社長(アレギ氏)がのこのこ登場したのは、アルゼンチンの大統領府(カサ・ロサーダ)。アレギ社長に同席しているのはフェルナンデス・アルゼンチン首相。そして、そこで行われた記者会見のテーマは、ENCE社のウルグアイでの新しいセルロース工場建設場所の発表でした。当初計画から倍の生産量を計画し、投資総額は12.5億ドル。2009年から操業を開始し、生産に必要な一次産品となる木材は一部アルゼンチンから輸入するといった内容でした。その記者会見の前にはキルチネル・アルゼンチン大統領にも表敬訪問したとのことで、ENCE社としてはそこで最終了解をもらったのでしょう。

◆これはウルグアイ政府にとっては屈辱的な一幕となりました。ウルグアイの投資案件の最終的な了解を取る先がアルゼンチンの大統領であることを国際社会に披露したわけで、きっと昨晩はキルチネル大統領周辺は非常に胸のすいた思いをしたと察します。ウルグアイ政府と心中しているもう一方のセルロース工場建設主体のBOTNIA社は、相変わらずアルゼンチン政府の脅しにあっています。国際司法裁判所の裁判は引き続き行われており、世銀から融資を引き出したものの、ウルグアイとアルゼンチン両国の対立を前に振り回される結果に陥っています。

◆同じ欧州勢の投資案件ですが、両者の採っている選択は大きく異なっています。9月の時点ではENCE社はウルグアイとアルゼンチンの二国間(又は多国間)外交に振り回された敗者の烙印を押されていましたが、今日の時点を切り出してみると、見方は大きく変わります。ENCE社の新しい計画地(プンタ・ペレイラ)はラプラタ川沿いであり、ウルグアイ政府として改めてアルゼンチン政府に環境審査等で「お伺い」を立てる必要はありません。ENCE社にとっての「仕切り直し」は首尾よくいったと見られます。

◆先述のとおり、外資による投資に反対する理由のないウルグアイ政府として、ENCE社の動きに苦虫を噛み潰しながらも、案件の実現のために動くことでしょう(ENCE社からウルグアイ政府への正式な説明は本日午後にありました)。ENCE社は外交の枠を超えたなかで、誰と仲良くすることがビジネスにとって一番望ましいか分かっていたのかもしれません。そして、その観点からすると、ウルグアイ政府は随分と見透かされた扱いを受けることになりました。
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◆折角の週末で、外は快晴。昨晩は妻に「明日はドライブに行こう」とはしゃいでいたものの、その夜にあった結婚式に夫婦して出席。早めに失礼したつもりでも、帰宅は既に午前2時。それから、目覚まし時計をかけずに眠り続けると、起床は午後の1時。何に疲れていたのかはしりませんが、昼食にベランダで冷麦をすすって、更に昼寝。力の抜けた日曜日になってしまいました。

◆ところがテレビを見ると、チリが熱い。ピノチェト氏の死去。今年に入って、カストロ氏が倒れて、ピノチェト氏も先週には危篤が報じられ、なんとなく中南米の一時代が去ろうとしています。ただ、とてもではありませんが「静かに」去るとはいえないようです。CNNをはじめとした映像を見る限り、支持者だけではなく、長年ピノチェトに反抗してきた勢力は祝うためにサンティアゴ市内で集まっている様子。(ちなみに現地からのレポートはここが一番のおススメ)

◆この緊張感、南米大陸以外からは、何とも分かりにくくなってしまいます。その中で、時事通信が報道しているので、以下を転用します。

ピノチェト元大統領が死去=軍政16年半、人権弾圧を主導-チリ
 【サンパウロ10日時事】南米チリで16年半にわたり軍政を率い、晩年は在任中の左翼活動家に対する人権弾圧事件などへの刑事責任を問われたアウグスト・ピノチェト元大統領が10日、心不全のため首都サンティアゴの陸軍病院で死去した。91歳だった。3日に心臓発作を起こして入院、バイパス手術を受けていた。
 葬儀は国葬ではなく、軍葬の形で12日に行われる。
 ピノチェト氏は殺人などの罪で起訴されたが、死去により、「国家元首の犯罪」が十分解明されないまま、裁判は幕引きとなる。 
 73年9月のクーデターでアジェンデ社会主義政権を打倒して以来、任期延長の是非を問う国民投票に敗れて90年3月に民政移管されるまで、チリの軍事独裁政権を指揮した。
 ただ、アジェンデ政権下で壊滅状態に陥った同国経済を、積極的な自由開放経済政策の導入により改善。対外債務を徐々に減らし、「中南米の優等生」と称されるまでに立て直した。
 政権移譲後も陸軍司令官に留任。その発言や行動は絶えず波紋を呼び、政府との間には常に緊張が存在した。政権の座から降りて16年が経過した今も、チリの政界はピノチェト派対反ピノチェト派という対立の構図が続いている。
 15年11月25日、首都サンティアゴ郊外のバルパライソ生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学を卒業後、陸軍第6師団長などを経て69年に陸軍参謀長。73年8月、陸軍総司令官、翌9月には軍事評議会議長。74年12月、大統領に就任した。学究肌としても知られ、「地政学」「チリの地理学」などの著書もある。


◆ピノチェト氏に限らず、60~70年代、南米において軍事力を通じて「米国の代理人」を果たした人々にとって、昨今の南米の「左傾化」は間違いなく受難の時代です。南米の左傾化の一番の「功績」(?)は、実は貧困対策ではなくて、「人権」を表に出した上での過去の精算なのではないかと思われます。その「成果」について、ウルグアイでは、軍政へと導いた元大統領が先月逮捕されましたし、アルゼンチンでも似たようなことが起きていると聞いています。そして、今回はチリですが、彼の国ではピノチェト氏の死でもってしか次の一歩を踏み出すことができなかったのかもしれません。

◆既に米国にとっては、70~80年代の南米における影響力行使の問題は過去の話であり、コンドル作戦などは歴史文書程度にしか思っていないのかもしれません。イラクで忙しすぎる現在、改めてこの地で何か語ることはないのでしょう(何か語ることがあれば、それはそれで面白いのですが)。また、現在の米国の南米における影響力の行使と比較すると、共産主義という「化物」の威力はすごかったということなのでしょう。

◆それにしても、チリのバチェレ政権にとって、このピノチェト氏死後の対応の一つ一つが今後の政権運営に微妙な影響を与えることでしょうから、難しい課題を突きつけられています。例えば、先の時事通信の記事でも、ピノチェト氏を「国葬」ではなく、「軍葬」で対応しようとしているところがバチェレ大統領の苦労の跡を窺わせます。ちなみに、バチェレ大統領、父親を軍政下で殺され、自らも拷問の経験を有している経験を有しています。国家元首としてどのような判断をするのか、心中複雑なものがあるでしょう。
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◆ウルグアイはそろそろ夏休みモード。晴天が続く中、首都モンテビデオでは次第に人の流れが少なくなり、富裕層は東に150キロ弱のところにあるリゾート地、プンタデルエステ界隈の別荘に月単位で休暇をとります。先日も同地の住宅を貸し出し相場を伝える記事がありましたが、日本人からしても割高感を感じるものであり、いったい誰が借りるのかと思っていました。この実質的な夏休みは1~2月頃まで続きます。

◆ウルグアイの新聞紙面を眺めていると、相変わらすアルゼンチンとのセルロース工場問題が連日記事になっていますが、一方で元気を取り戻した人物にまつわる記事が目立つようになってきました。その人物とはアストリ経済財務相(写真)です。

◆アストリ大臣ですが、バスケス政権発足後の05年には前政権の路線を踏襲し、左派政権の誕生への警戒感を和らげる役割を担いました。彼の堅実な政策手法は国際市場で一定の評価を受けるまでになりました。06年早々、その勢いに乗って、彼の口からメルコスール以外の市場開拓の必要性の一環として「米国とのFTA」といったアジェンダが登場しました。このアジェンダ、既にこのブログをお読みの方はご承知のとおりですが、06年9月あたりまで賛否にまつわる議論が国内外で続きました。

◆米国とのFTAについては、与党の強固な反発を目にしたバスケス大統領が協議を当面開始しないことを決定。アストリ大臣は政治的な敗北を被ったと見られていました。このブログでも、バスケス大統領の与党対策という目先の議論によって、ウルグアイの継続的な経済成長という大義を握りつぶしたと批判的なことを書いたかと思います。そして、その時の懸念材料として、「果たしてウルグアイに次の一手があるのか」というのを自問していたように記憶しています。

◆アストリ大臣にとっての次の一手ですが、先週行われたチリへの訪問が象徴的なものになりました。そこで、二国間の貿易・投資の拡大の一環として、彼はFTAの可能性を明言しました。

◆正直、自分はこの一手については想像をしていませんでしたが、実に巧い一手だなと感心しています。ウルグアイが加盟するメルコスールでは、域外加盟国とのFTAの締結を原則禁止しています。ブラジルもアルゼンチンも、ウルグアイによる米国とのFTAを反対した理由は、巨大市場に抜け駆けされることへの懸念があったことも確かでしょうが、表面上はこのメルコスールの規約に基づくものとされていました。

◆ところが、ウルグアイは、過去に域外加盟国相手に、メキシコとのFTAを締結しています(2003年)。この際には、ブラジルもアルゼンチンも承認をしており、メルコスール準加盟国であるチリとのFTAの可能性を公然と反対する理由を立てることはないだろうというのがウルグアイ側の見立てでしょう。ウルグアイとしては、チリの先に存在する対チリFTA締約国が視野に入っていると見られます。そして、これら通商戦略の旗振り役になっているのがアストリ大臣(及び彼の側近から構成される経済チーム)です。

◆ここに来て、アストリ大臣はメルコスールへの批判の強めています。例えば、ブラジルやアルゼンチンの域内両大国がパラグアイやウルグアイといった小国への対策を怠っていることを挙げています。この問題は、ブラジル政府も今後改善の方向に進めると述べ、翌週ブラジリアで開催されるメルコスール共同審議会でも議論される見込みとなっていますが、その中味については不明です。アストリ大臣が代弁するウルグアイ側によるメルコスールへの潜在的な不信感は、大国が小国の自由を押さえつけているという見立てから成り立っています。

◆また、国内政治面に目を向けると、現在のアストリ大臣は非常に動きやすくなっています。その一番の理由は、11月12日に行われた与党拡大戦線党の党内政治委員会選挙において、アストリ大臣率いる派閥が党内第2派閥に伸し上がったことです。そもそも同選挙は任意の投票で、どちらかというと組織票が働きやすいものとされます。左派政党の中でも、左に傾きやすい傾向がある中で、欧州の社会民主主義的な色彩を帯びた中道左派の同派閥が一定の支持を得たことで、アストリ大臣は就任後20ヶ月近くにわたる自らの成果に対して一定の支持を得たと判断したのでしょう。

◆その関連で、先日の新聞記事で面白い分析がありました。米国とのFTA協議の頓挫は、アストリ大臣にプラスの結果を及ぼしたというものです。FTA騒動は9月に幕を閉じたのですが、例えば同騒動が党内政治委員会選挙時まで長引いていた場合、アストリはここまで支持を得ることが出来なかっただろうという分析です。騒動終了から1ヶ月は冷却期間として十分なものでしたし、選挙の1週間ほど前にアストリ大臣から発表されたIMF債務全額返済の発表は、「アストリ大臣=IMFのエージェント」とこれまで揶揄してきた極左勢力の勢いを殺ぐものになりました。

◆果たして災い転じて福となったのかは不明ですが、アストリ経済財務相は引き続き発想を自由にしたなかでウルグアイの活路を模索していることが分かります。
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◆先週末のエクアドルの大統領選挙に続いて、今日はベネズエラの大統領選挙。後者については、前評判からチャベス大統領の再選が予想されており、既に南米の周辺諸国もそれを織り込んだ動きをしていたこともあって、選挙の関心事はどの程度の差をつけて勝利するのかという点ではなかったかと思っています。

◆選挙管理委員会が発表したところ、開票78.31%で次のとおり。
チャベス大統領 61.35%
ロサレス候補 38.39%

◆事前に報道されていた世論調査でも20~30%の差をつけており、順当な展開ではないかと思っています。開票結果の差が10%程度ほどであれば、「チャベス大統領予想外の苦戦」と今後の国内政治の展開などが懸念されたのかもしれません。ただ、結果として、チャベス大統領とすれば、とにかく今後6年間が保証されればいいので、差についてはそれほど気にしていないのではないかと思っています。

◆南米諸国の大半の政権は、実のところ、これで一安心したのではないかと思われます。米国にとってベネズエラは、自らの裏庭(南米)における目の上のタンコブのような存在なのかもしれませんが、南米諸国にとっては羽振りの良いパトロンの位置づけになっているところがあります。原油価格が下がってきたために、一時ほどの勢いは無いのかもしれませんが、それでもチャベス政権は、ここ数年、南(南米)に目を向け始めて、採算を度外視したようなプロジェクトをいくつも考え付いています。当然、それらはチャベス政権が安泰であることが前提条件であり、南米諸国にとっては、チャベスの過激さや図々しさには警戒するところが多々あるのでしょうが、札束を前にされると、自らの感情を表には出してこないところがあったりします。

◆いずれにしても、順当な結果。チャベス大統領の拡大志向がどこまで許容されるのか。彼の場合は、国内の要因よりも海外で虎の尾を踏まないかといった危うさがありますので、6年間の任期を語る際には、その辺が検討材料になってしまいます。ただ、この政権、命綱となるのは石油価格なのでしょう。
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◆今週末のモンテビデオは雨が予想されていましたが、実際に雨が降ったのは土曜日の午前だけ。それ以降は蒸し暑い晴天に恵まれています。新聞を見る限り、モンテビデオの最高気温はここ数日20度代後半を示していますが、ブラジル国境沿いのアルティガス(ウルグアイ北部)は既に最高気温30度代後半とのこと。ウルグアイは小国ですが、地域による寒暖の差は大きいようです。

◆土曜日は、日本からやってきたMさんをお連れして、モンテビデオ市内を一通り観光しました。そこで改めて気がついたのは、この町が朝型ではないことです。観光施設などの開始時間は10時又は11時の様子。お目当ての品が売っている店は、開始時間を決めていなかったということで、随分と暢気な町の様子を再確認しました。

◆さて、先に触れたお目当ての品ですが、それはモンテビデオの絵葉書です。モンテビデオでも写真の絵葉書は売っていますが、それらの多くは80年代から売れ残っているのではないかと思えるようなものばかりです。これは観光客に対してセンスがないなと残念な思いをしていました。その中で登場したのが、ポスター調のモダンなデザインのものです(図柄は第1回W杯が開催されたセンテナリオ競技場とそのポスター)。

◆このようにモンテビデオの名所をモチーフにしたものが現在では13種類ほど揃っています。そして、自分たちへのモンテビデオのお土産にしようということで、先日はが5枚ほどを並べたものを額に収めました(右写真)。これを見たMさんが関心を示したことで、土曜日の午前中は絵葉書の購入になりました。ちなみに、Mさんの購入枚数は20枚強。モンテビデオでは大口のお客様です(笑)。簡易に運べるオシャレな思い出の品になったと思います。

◆また、ローカルな話になりますが、ウルグアイのお土産を探している方への朗報として、12月1日から10日にかけて工芸品を集めたイベントがモンテビデオ市内(LATU)で開かれています(Hecho Aca主催)。ちょうど、この季節はクリスマス・プレゼントを購入する時期でもあるので、色々な展示会が開かれていますが、この時期のモンテビデオ市内ではこのイベントが一番のおススメです。筋の良いお土産店(露天商)が屋内の会場で一堂に会しています。土曜日にも行きましたが、もう一度ゆっくり歩いて回る予定にしています(妻のブログにも登場するでしょう)。期間中は毎日15時~23時まで。このあたりもウルグアイが朝型ではないところを垣間見せています。
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