<   2007年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

◆ウルグアイの夏は続いていますが、先週辺りから少しずつ夜風が冷たくなってきました。今晩もラプラタ川からの東南の風が強く吹いています。ウルグアイの夏のピークは1月上半期と言われていますが、それを裏付けるような天候です。それでも殆どの日々は快晴。今の時期は、ちょうどマックノート彗星がモンテビデオ市内からでもはっきりとみることが可能で、先日までは、日暮れになってからの海岸通り(ランブラ)に横付けされた車が並び、芝生に座って彗星を眺める人々の光景を目にしました。

◆今晩はモンテビデオの中心「7月18日通り」でカーニバルのパレードが開催されています。「カーニバル」と「パレード」の文字にブラジル・リオデジャネイロのようなイメージを想起される方もいるかもしれませんが、ここのパレードは「練り歩き」のようなものだと思ってください。それでも夜の9時近くから深夜の1時過ぎまで40以上のグループが踊りを見せます(先ほどまで外から何となく打楽器の響きが届いていました)。これからモンテビデオでは2月下旬までカーニバルのシーズンになり、ほぼ毎日どこかでイベントが行われます。夏のモンテビデオの見所のひとつです。

◆このように、モンテビデオにおいてもこれから観光客誘致のシーズンに突入しますが、いずれにしても、ウルグアイの夏の主役はプンタデルエステで間違いないようです。2006年第1四半期の統計によれば、同期間にウルグアイにやってきた観光客は69.4万人。目的地別の内訳では、プンタデルエステが33%で、モンテビデオは25%であり、この2ヶ所が群を抜いています。

◆先月から目にしている夏の賑わいを前にすると、ウルグアイの観光への潜在性を見出したくなるのですが、友人にそのような話を振り向けると、「ウルグアイの観光といっても夏期間の2~3ヶ月だけの話」とあまり乗ってきません。たしかに、ウルグアイ最大のリゾート地であるプンタデルエステでは、今は多くの人々で毎夜明け方まで若者等で雑然としていますが、これも2月上旬あたりまでの話。それからは、夏限定で開けている飲食店が次々と片づけを開始して、4月になれば別の町のように変身します。「そんな場所に住居を構える以外で投資する人はいないよ」とは友人の言葉。

◆では、誰がプンタデルエステを利用しているのかということですが、先日のブログでも触れましたが、アルゼンチン人がその中心になっています。統計数字を拾うと、2006年第1四半期の観光客のうちアルゼンチン人は60%を占めます。「北の大国」であるブラジルからの観光客が9%しかいないことと比較しても、その突出振りが分かるかと思います。

◆アルゼンチン人観光客がプンタデルエステを利用する場合は、飛行機もありますが、かなり多くの人々は遙々自家用車を使って1,000キロ近くの道のりをやってきます。そして、1ヶ月単位で休暇をとる・・・という何とも牧歌的なバケーションの過ごし方をとります。ところが、2005年末から、アルゼンチンとウルグアイ両国はウルグアイ国境沿いの町においてセルロース工場建設をテーマとして外交関係が滞っており、アルゼンチン側の国境沿いの町では両国を結ぶ道路を封鎖する行動に出ており、これは今も続いています。

◆レスカノ・ウルグアイ観光相は、当国主要紙とのインタビューで、アルゼンチン人観光客が10万人単位で減少していると発言しています。その観光客減少によって生じる減収は4,000万ドル以上と見られています。この夏、ウルグアイ観光省はアルゼンチン国内のメディア向けに積極的にPRを試みたようですが、対価はそれほどなく、観光相の見通しは当国政府にとっても無視できるものではないでしょう。

◆ウルグアイ政府は、この観光収入のダメージの根元がアルゼンチン側の橋の封鎖及びその封鎖を放置しているアルゼンチン政府にあるとの認識に立ち、先に国際司法裁判所に道路の封鎖解除にかかる仮保全措置を求めましたが、一昨日にその判決が出て、「ウルグアイに対して深刻な影響は確認されない」として1対14という大差で敗れています。

◆たしかに、ウルグアイの観光産業にとっては不利な状況に陥っていますが、果たしてその理由がアルゼンチンにおける道路封鎖のみに押しつけるのは少し都合が良いのかもしれません。ウルグアイ政府は容易に認めないでしょうが、アルゼンチン人が過去数年にかけてウルグアイを保養先として魅力を感じなくなったのは、道路の封鎖による不便さの認識もさることながら、両国の為替において、アルゼンチン人にとってウルグアイは割高な国だと思われてしまっていることです。例えば、2004年との比較において、ウルグアイ・ペソはアルゼンチン・ペソに対して2割程度高くなっており、長期休暇を過ごす人々にとっては、この点はしっかりと把握されているものと思われます。

◆それでは、ウルグアイにとって永遠の課題である「脱・アルゼンチン化」を図っているのかというと、それについては不明です。まず、観光省が中長期的視点からどのように観光客の国別構成を変容させていくかについての考え方を聞いたことがありません。例えば、「北の大国」であるブラジル、なかでも特に富裕層が見込めるサンパウロ、からウルグアイに来たいと思わせるような仕掛けがあるのかというと、それも不明です。何よりも、サンパウロからプンタデルエステに行く渡航費とカリブ海のリゾート地に行く値段が一緒とのこと。それでどちらを選ぶかと言われれば、自分でも後者を選びます・・・。

◆アルゼンチン、ブラジル極南部、チリ、パラグアイといったところが夏のウルグアイに魅力を与えるであろうターゲットになるのでしょう。その際、欧米は忘れてもらった方が良いかもしれません。このようなローカルな観光地(国)をどのように成功に導いていくのか。それはそれで面白い挑戦かもしれません。
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◆中国新聞の1月19日付に拙文が掲載されました。ウルグアイ以外の国を扱うなんて、そろそろネタ切れですかね。ここ数日はどうも看板に偽りあるようなテーマばかりになっていますが、来週辺りからはもう少しウルグアイを取り扱いますので、ご容赦のほど。

出稼ぎ送金効果 家並み一変 (1月19日付 中国新聞「世界の街角から」より)

 年末年始に、南米エクアドル第三の都市クエンカを訪れた。母の生まれた地で、両親が現在住んでいる。自分のルーツがそこにある。

 赤道直下に位置するエクアドルは、常夏の印象を与えがちだが、多様性に富む気候の国であることは、意外と知られていない。実際、クエンカは、アンデス山脈に位置する標高二千五百メートルの町であり、風光明美であるうえに、その街並みは世界遺産にも登録されている。

 初めてエクアドルを訪れてから四半世紀になるが、このアンデスの町の姿も大きく変わった。

 変化の最大の要因は、出稼ぎ労働者の存在である。この動向は一九九〇年代に本格化し、現在でも米国やスペインといった先進諸国で一家を養うために働くエクアドル人が後を絶たない。その送金額は今となっては、エクアドルにおいては、石油に次いで、二番目に多い外貨収入である。

 その出稼ぎの大きな役割を担っているのが、クエンカや、その周辺出身の人々である。同地域から出稼ぎに行く人々は、他の地域と比較しても多いといわれている。

 そのような出稼ぎ労働者による送金の効果は、クエンカと、その周辺の集落に如実に表れている。例えば、昔は貧相な小屋が点在していたアンデスの山肌に、豪華なコンクリート造りの家々が見られるようになった。年々増えている。

 また、潤沢な海外からの送金によって、クエンカは国内で最も物価の高い町になった。金の流れが多いため、新たにペルーなどの周辺諸国からクエンカに出稼ぎにやってくる現象が起きている。

 年末、エクアドル全土では、「モニゴテ」と呼ばれる人形を焼く風習がある。クエンカでも同様の風習が営まれ、大みそかの数日前から、古着に木片を詰め込んだ人形が道端に並べて売られる。

 地元の人々は、人形とそれにかぶせるお面を買い、親族一同が集まる大みそかの夕方から夜半にかけて、人形を焼く。その年に起きた嫌なことを忘れるためである。

 果たして、かの地で働く出稼ぎ労働者とその家族にとって、一緒にモニゴテが焼けるのを見る日は来るのだろうか。


◆昨日の新大統領就任の話ではないのですが、このコラムを書いている時(1月3日頃)は、エクアドルの「失われた10年」を前にして、貧困対策には出稼ぎが有効な手段なんて斜に構えていました。コレア大統領の登場を通じて、出稼ぎ依存の構図は本当に変わるのか、少し楽しみになってきました。
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◆1月15日、エクアドルではコレア大統領が就任しました。欧米及び日本のメディアでは、新大統領が「反米左派」であり、エクアドルが「過去10年間で8人目の大統領」といったような不安定さを象徴している国であるためでしょうか、この南米の小国に対して異例の取り扱い方をしてくれています。数多の日本語で書かれた記事の中で、秀逸であったのは朝日新聞の記事でしたが、非常に簡潔なものとしては、時事通信の速報があります。

2007/01/16-01:10
コレア氏が大統領就任=南米3カ国目の反米左派政権-エクアドル
 【サンパウロ15日時事】南米のエクアドルで15日、昨年11月の大統領選挙決選投票を制した反米左派のコレア元経済・財務相(43)が大統領に就任した。任期は4年。コレア政権誕生により、南米12カ国中、左派政権は8カ国、反米国はベネズエラ、ボリビアに次ぎ3カ国となった。


◆本欄で取り上げていきたいのは、就任準備期間を通じてのコレア大統領への評価と今後の見通しについて。最初に後者にかかる結論を言ってしまいますと、「コレア大統領は頭が良いから、当面心配いらない」との立場をとります。

◆まず、コレア大統領の国際的な知名度が上がったのは、昨年の国連総会の頃だったと思われます。反米の急先鋒チャベス・ベネズエラ大統領が同総会においてブッシュ米大統領を「悪魔」と批判した際、コレア大統領候補(当時)は、エクアドルの地において、「ブッシュを悪魔に比べるのは悪魔に失礼だ。悪魔は邪悪だが、少なくとも知性はある」と発言しました。それまでもエクアドル国内では「親チャベス」として大統領選挙で注目を集めていましたが、あの一件で世界デビューを果たしました。その後も、ベネズエラとボリビアの両首脳と行動する機会が多く、今回の大統領就任式の前日に行われた先住民に対する集会(就任式典)においても3首脳は行動を共にしていました。それだけを拾い上げると、今度のエクアドル大統領は「とんでもない奴」と映ります。

◆また、コレア大統領が今後創設しようとする制憲会議がベネズエラとボリビアが行っているものと類似していることから、あたかもエクアドルはそれら「反米左派」の両国の後を追っているように見受けられます。たしかに、3カ国に共通するのは(過去又は現在における)議会の腐敗であり、過去において大統領主導の改革意欲を徹底的に阻害したという点です。先述の「過去10年間で8人目の大統領」についても議会による大統領弾劾を通じた辞任が幾つか含まれています。現在も議会は基本的に制憲会議の創設に反対する考えを内心では有していると見られますが、エクアドル国民の大半は議会の腐敗振りに辟易しており、議会は当面国民感情を前に譲らざるを得ない状況にあります。コレア大統領は、自らの人気の勢いがあるうちが鍵だと分かっており、大統領就任日の15日には、制憲会議創設にかかる国民投票を3月18日に行う大統領令に署名しています。

◆コレア大統領ですが、自らを「ヒューマニストで、左派のクリスチャン」と表しています。「左派」については確信的なところがありますが、メディアが強調する「反米」の部分については彼は必ずしも同意していないでしょう。「愛国者」として拠って立つところが「反米」と映ってしまっているためです。自国を第一に置いている点については、大統領就任式演説でも色濃く出ていました。

◆彼の主張によれば、90年代以降のエクアドルは数字の上で一定の経済成長はあったものの、格差は広がり、そのことが先進国への出稼ぎを助長したと捉えています。新自由主義批判はそのような文脈から出てきており、大統領就任演説では、欧米諸国で働く出稼ぎエクアドル人が母国で働き、家族と共に過ごせるような環境を作るのが自らの役割であると表明しています。彼の出稼ぎにかかる発言は、出稼ぎで親族を送り出している国民の多くの琴線に触れたのでは思われます。

◆コレア大統領とチャベス大統領の蜜月については、これは両国の打算の産物です。コレア大統領にとっては、今後の債務再編において国際金融機関とのゴタゴタが収斂しなかった場合、ベネズエラのオイルマネーをあてにしようといったものでしょう(数年前にキルチネル・アルゼンチン大統領が使った手法でもあります)。一方のベネズエラにとっては、エクアドルの左傾化はチャベス大統領の夢でもある「南米統一」構想に沿ったものであり、国際社会に対して、当面は健康状態の危ういカストロ氏は奥に引っ込んでもらい、代わりにコレアを表にだして、新鮮なイメージを出そうとしていると思われます。また、両国にとっては、悩ましい隣国、コロンビアに対する牽制材料として、友好関係を築くことは損な話ではありません。

◆欧米のメディアも注目する南米の「反米左派連合」(ベネズエラ・ボリビア・エクアドル)について、肝心の南米の首脳陣は、コレア新大統領がチャベス・ベネズエラ大統領(軍人上がり)やモラレス・ボリビア大統領(コカ栽培のリーダー)とは違った存在であることには気付いている模様です。まず、ブラジル政府は陰日向にコレア大統領を積極的に取り込もうとしています。例えば12月中旬にボリビアで行われた南米共同体会議にコレア次期大統領(当時)は赴きましたが、彼の飛行機を手配したのはブラジル政府でした。また、同地においてコレア次期大統領はスピーチや会談を行ったようですが、その内容を聞いた人々の評価は総じて高かったとのこと。

◆高い評価を下している中の一人には、南米の穏健左派を代表するチリのバチェレ大統領(写真左)も含まれます。まず、12月中旬、チリ・サンティアゴで両者は会談を行い、先の大統領就任式に彼女(バチェレ)も出席しました。また、コレア大統領は、大統領就任に向けた準備段階において、チリの経験を参考にしたとも見受けられます。例えば、チリの現政権と同様、新閣僚17人のうち、7人は女性を起用。そして、国防相にはエクアドルの歴史上初めて女性の閣僚を任命しました。

◆その新国防相ですが、政治家出身であるものの、軍との関係は皆無。就任発表当時、自分はエクアドルにいましたが、関係者の話からは好意的な反応は聞かれませんでした。しかし、これも実はチリのケースを学んでいるように思われます。南米の各国では依然として政治と軍の関係の微妙な関係が未だに存在します。その中で、新しい展開を図るためには、過去に引きずられた中途半端な人物を充てるのではなく、象徴的な人物を充てることが案外活路を見出すのかもしれません。ちなみに、バチェレ大統領もラゴス前政権では国防相を務めていたりします。

◆最後に、過去10年間の政権との違いについて言及したいと思います。エクアドルにもアウトサイダーとして大統領選挙に勝利した人物として軍人出身のグティエレス元大統領がいました。彼は先住民の集団と共闘をして、体制派への不満が鬱積している有権者からの支持を得て、大統領に就任しました。形としては、今回のコレア大統領勝利の構図と似ています。

◆しかし、グティエレス元大統領が最終的に放擲されてしまった背景には、「政策路線を変更した」ことと「筋の良い既得権とのパイプがなかった」という2つのミスがありました。前者ですが、当初は反新自由主義路線に近い政策を採っていたものの、最終的に新自由主義路線に妥協したことで国民の支持を失いました。そもそも彼自身に思想的なバックボーンがありませんでした。そして、後者ですが、彼が背景とする軍は違った意味での既得権層であり、その点からしてそもそも既得権層からの訣別という課題は懐疑的なものでした。また、政官財の筋の良い人材を閣僚として獲得することができませんでした。最終的には親族を政治任命する苦肉の策を講じ、そこから腐敗が生じました。ネポティズムは旧体制のイメージを増幅させ、腐敗によって国民不信を加速する結果になりました。コレア大統領は、このグティエレス政権の失敗を他山の石にしています。

◆表面的には、色々と「反米」や「左派」といったイデオロギーという色に塗られた話がメディアを通じて出てくるでしょう。いずれにしても、コレア新政権の行く末が決まるのは最初の数ヶ月間なので、それまでは「コレア大統領は頭が良いから、当面心配いらない」ということで自らの立場をとりたいと思っています。
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前回のブログの続きというわけではないのですが、先週の土曜日、プンタデルエステまで足を伸ばしました。日本在住の方々には馴染みのないこの町ですが、欧米の人々にはそこそこ知られているようで、例えば1月7日付のニューヨーク・タイムス紙でも紹介されていました。右の写真のようにウルグアイの「東の岬」(プンタデルエステの日本語訳)に位置し、写真に向かって、右が大西洋、左がラプラタ川になっています(よりマクロな写真は前回のブログを参照ください)。

◆モンテビデオからプンタデルエステまでは車で2時間弱の距離。今年はプンタデルエステが開発され始めてからちょうど100年目とのことです。最初は漁村として、そして20世紀の中盤からは周辺諸国の金持ち向けの保養地として注目を集め続けてきました。また、80年代中盤に「ウルグアイ・ラウンド」が開催されたのもこの町です。20世紀の初頭に隆盛を極めた首都・モンテビデオとは違った形で、この町は成長を続けています。

◆「夏のプンタデルエステにはウルグアイ人がいない」と地元の人々はよく口にします。その根拠を探してみますと、例えば、プンタデルエステの人口は1万人弱と統計で出ていますが、夏のシーズン(12月~2月)には50万人近くにまで増えるという話があります。そして、それら観光客の大きな部分を占めているのは、アルゼンチン人と言われています。また、プンタデルエステで最も有名なコンラッド・ホテルにおける1月前半の利用者は、約4割がアルゼンチン人、2割強がブラジル人といった中で、ウルグアイ人はわずかに3%。夏のプンタデルエステにおけるウルグアイ人の存在感のなさを裏付けています。

◆1月の上半期は、プンタデルエステが最も賑わいを見せる時期です。個人的なこととして、3年近くウルグアイに夫婦して住んでいますが、このピーク時にプンタデルエステを訪れるのは初めてでした(オフ・シーズンには幾度となく日本からお友達などを連れてきましたが)。 そして、自分はプンタデルエステの初泳ぎ。大西洋の水は冷たかったものの、波も程よい高さで、目の保養にもなり(余計か・・・)、何故もっと早く知ろうとしなかったのかと自らの不明を恥じていました。

◆先述のとおり、夏のプンタデルエステの中心はウルグアイ人ではなく、彼らに取って代わるのがアルゼンチン人です。例えば、ウルグアイを訪れる年間観光客のうちアルゼンチン人は7~8割近くと言われています。その多くは、夏のシーズンに合わせて両国国境のラプラタ川を渡り、人によっては月単位で夏休みを満喫します。また、プンタデルエステに林立するアパートや目も眩むような豪邸はアルゼンチン富裕層の脱税マネーで購入されたものと言われており、その多くは個人名義ではなく、ウルグアイのペーパーカンパニーを購入して、会社名義で資産管理をしていると言われています。

◆実際に車でプンタデルエステを隈なく走ってみましたが、アルゼンチンのナンバープレートをつけた車の割合は非常に高いです。路上を走っている車だけでも3~4割程度。そして、高級アパートや豪邸に駐車しているもので7~9割といった按配です。

◆そして、象徴的なのは右の写真の新聞スタンドです。何の変哲もない青い新聞スタンドですが、その表にはアルゼンチン・ブエノスアイレスの有力紙である"La Nacion"の文字。そして、スタンドの中心に積まれているのはアルゼンチン主要2紙であるLa Nacion紙とClarin紙。ちょうど新聞を購入する人々も見掛けましたが、彼らはしっかりとLa Nacion紙を買っていきました。それら青いスタンドがプンタデルエステの至る所で散見できます。

◆「プンタデルエステはアルゼンチン」と揶揄するウルグアイ人の声を耳にすることがありますが、このような光景を目の前にするとあながち冗談ではないなと思ったりもします。
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◆夏真っ盛りのウルグアイ。その中にあって首都のモンテビデオは開店休業の状態。今日も目の前のランブラ(海岸通)を行き交う車の数は通常と比べると「ない」に等しい状態。自宅のマンションの眼下に見える比較的人気のあるレストランにおいても、日曜日の午後という書き入れ時にもかかわらず、お客はそれほど入っていない様子。

◆それもそのはずで、モンテビデオの多くの人々は、日常生活を忘れるためにモンテビデオを離れて休暇を満喫します。そういえば、先週、車の修理を頼もうと修理工に連絡を入れると「従業員は今週いっぱい皆休み」とのこと。ウルグアイの夏休みのコアなシーズンが1月上半期といわれている中では、電話した自分の方が「常識知らず」になります。

◆それでは、彼らはモンテビデオを離れて、どこに向かうのかというと、東に進路をとります。目指す先は綺麗な海岸又は砂浜です。海外の人々にも有名な場所としては、国内最大のリゾート地で、140キロほど東に行ったプンタデルエステがあります。この町を分岐点として、ウルグアイの場合、大西洋とラプラタ川に分かれます。

◆ちなみに、首都のモンテビデオにも「砂浜」はありますし、そこで多くのモンテビデオ市民は日光浴を楽しんでいる光景を目にします。一部の若者や子どもたちは日光浴では飽き足らず、水浴びをしています。外国からの観光客が以上の光景を見れば、立派な観光地に見えるかもしれません。しかしながら、厳密に言えば、モンテビデオの砂浜は「海岸」ではなく、先述のとおり、ラプラタ川の「川岸」になります。

◆モンテビデオの砂浜においても、風が強い日などは、日本の瀬戸内海の海岸より高い波を見ることができます。そして、本当の海岸に行く手間とコストを省いて、モンテビデオの波で我慢しているサーファーの光景を見ることができます。そして、手間とコストの省略からすると、モンテビデオで泳ぐ人々もそんなカテゴリーに入ってくるのかもしれません。ただし、果たしてモンテビデオで泳ぐことが衛生的に問題ないかというと不明です。ラプラタ川のモンテビデオのビーチには大腸菌群が一定の数以上いると過去に聞いたこともあります。モンテビデオにビーチがあると某有名観光ガイドでは紹介されていたりしますが、泳ぐことについては少し検討された方がよいでしょう。

◆また、先ほどレストランの話をしましたが、モンテビデオ市内の一部のレストランでは、この期間、夏季休業にするところが散見されます。従業員が休みに入るためという福利厚生の理由ではなく、「モンテビデオではカネにならない」ため。それらのレストランは、戦略的に動いていて、先ほど紹介したプンタデルエステに料理人などを期間限定で出張させます。夏のウルグアイでは、中心はモンテビデオではなく、プンタデルエステに移行するといっても過言ではないでしょう。

◆以上のように、ウルグアイ人すら相手にしないのが、この時期のモンテビデオ。個人的には、交通量は少なく、人通りも少ない閑散としたモンテビデオに居心地の良さを感じたりもしますので、仕事にはなりませんが、もう暫くこんな状況が続いてくれればと願ったりもします。
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◆はじめに、昨日の題名の「大統領『戦』」とはなんともお恥ずかしい話。年頭からこれでは、先行きが思いやられます(苦笑)。

◆日本では、4日が仕事始めということで、自分も今日から会社に顔を出しています。年末年始とウルグアイを離れていましたが、新聞の流し読みをする限り、特段のニュースはなし。先月の段階で、アストリ経済財務相が07年のGDPが4.6%になるだろうとか、06年10月の失業率が全国レベルで9.7%になったとか報じられれば、本日付の当地主要紙でも06年のインフレ率が6.38%になったという好ましい話が続いています。それらのマクロの好調さを受けて、先月、米国の格付機関のムーディーズはウルグアイの格付けを改善させたとの報道もされていました。

◆そんなことで、06年のウルグアイの貿易はどうなったかなと、速報値を眺めてみますと次のとおり出ていました。

【輸出 34.22億ドル】
1位 ブラジル 5.82億ドル (17.0%)
2位 米国 5.22億ドル (15.3%)
3位 アルゼンチン 3.01億ドル (8.8%)
4位 ロシア 2.27億ドル (6.6%)
5位 中国 1.68億ドル (4.9%)

【輸入 46.40億ドル】
1位 ブラジル 10.72億ドル (23.1%)
2位 アルゼンチン 9.77億ドル (21.1%)
3位 ベネズエラ 7.27億ドル (15.7%)
4位 中国 3.51億ドル (7.6%)
5位 米国 3.31億ドル (7.1%)

◆まず、大きな材料から見ていきます。在ウルグアイ日本大使館のHPに載っていた05年の数値を参考にさせてもらいますと、輸出についてはそれほどの伸びはありません(34.05億ドル→34.22億ドル)。その一方で、輸入については、2割近くの伸びを示しています(38.79億ドル→46.40億ドル)。中身を検証していませんが、原油の輸入が大幅に増えたためと想像されます。その結果として、現政権が誕生するまでは輸入対象国として低い順位であったベネズエラが06年には第3位までやってきました。

◆輸出の総額については大きな変化がありませんが、順位については、幾らか変化が見られました。例えば、05年には輸出対象国として第1位になった米国は1年でその順位を下げ、ブラジルが再び最大の貿易パートナーとなりました。また、前政権では脱メルコースールを貿易政策の指針にしていましたが、その傾向にいったん歯止めがかかったのが06年であったといえるでしょう。米国とのFTAと産業界は声高に言っていましたが、実際は米国よりも近隣諸国との貿易が増える結果になっています。

◆米国との貿易は05年実績の22.4%から一気に15.3%まで下げる結果になりました。この米国向け輸出額の大幅な減少の一つの理由は、当国最大の輸出産品である牛肉の輸出対象国が大幅に変わったためです。06年前半、アルゼンチンが自国産牛肉の輸出を制限したことを機に、これまで同国産の牛肉を輸入していた諸国は新たな調達先を探すことになりました。それがチリであり、ロシアでした。米国よりも良い値を出してきた両国向けの牛肉は増え、その分米国に向かわなかったというのが実際のようです。先の統計を見ましても、ロシアが珍しくトップ5圏内に躍り出ていますし、チリも第7位を占めています。

◆翻って、日本とウルグアイの貿易ですが、対日輸出額は0.44億ドル(シェア1.3%)、輸入額が0.50億ドル(シェア1.1%)と出ています。2005年5月30日付の本ブログでも過去の数字などに触れていますが、輸出は37%増の堅調な伸びをしめしています。なかでも木材チップが主要産品となっており、対日輸出全体の82.7%を占めています。もはや、一部の日系企業にとっては、「ウルグアイ=木材チップ」となっているようにも思えます。
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◆ウルグアイに戻ってきましたが、非常に暑いですね。標高2500メートルある常春のクエンカから戻ってくると、モンテビデオがここまでジットリする気候だったのかと再確認させられました。ちなみに、地元の人々は以前から「ここの夏は湿気が高い」と言い続けていましたが・・・。

◆エクアドルで年末年始を過ごし、その間親戚縁者等々と色々話していましたが、話題に出てくるのが今月15日に就任するコレア次期大統領についてです。毎晩のニュースでも必ずトピックになっており、現在の大統領(パラシオ大統領)は見る影もありません。コレア氏がこれからどのような政権運営を行っていくのかについては追って話をしていくにして、今日は先に行われた大統領選挙に係る話について。

◆エクアドルの有力紙コメルシオ(1月1日版)にも書いてありましたが、一年前のこの時期に「コレア大統領」と予測した人間は皆無でした。それが何故ここまでコレア候補が伸し上ってきたのか。その一番のキーワードは政党との対決姿勢を鮮明にしたことでした。ただし、それは彼が意図した結果ではなく、偶然の産物であったようです。

◆はじめに、コレア次期大統領については、現政権において4ヶ月弱ほど経済財務相を務めていましたが、彼の描く改革姿勢が仇となって、現大統領に見捨てられる形となり、辞任。同相の任期において、同国の問題点を垣間見たことがその後の建設的な政策立案に役立っているとの話がありますが、いずれにしても辞任に至るには、議会を数十年近く仕切っているフェブレス・コルデロ元大統領(現議員・キリスト教民主党)の尾を踏んだとの話も漏れ伝え聞こえてきます。

◆その後、コレア氏は大統領戦に立候補したわけですが、最近の新聞報道によると、最初、彼としては、いずれかの政党との共闘を考えていた節があるようです。思想的に一番近かったのは、ID(左派民主党)ですが、彼らは政策的には近くともコレア氏で勝てるとは見ておらず、共闘を見送りました。また、パチャクティック(先住民が母体の政党)との連携の可能性についても、同党は先のグティエレス政権時における共闘及びその後の失敗というトラウマがあったようで、結果的に連携には至らず。コレア氏は単独で戦うことになりました。

◆コレア氏にとって奇禍となったのは、06年に次々と起きた様々な国内的な事象であり、唯一同氏が政策的に内容を有していたためとの分析が出ています。確かに、昨年のエクアドルについては、米国とのFTA、コロンビアとの外交関係、マンタ基地の米国貸与の問題等々、様々なテーマが遡上にあがりましたが、これらの政策に対して、当初有力候補と言われていた人々(左派ロルドス候補及び右派ノボア候補)は発言に中味が伴っていませんでした。

◆例えば、象徴的だったのは、10月5日に行われたTV討論会です。この際に司会者から最初の質問として同国の経済問題を振られたノボア候補(98年、02年の選挙ではいずれも次点に終わり、今回が3度目の挑戦)が行ったのは、手持ちの原稿の棒読み。彼とも付き合いのある現地の企業関係者からの話でも「あいつは馬鹿だ」の一言で片付けられていました。他の話でも、「ノボアの選挙というのは、一つのビジネス。負けても十分メリットは享受している」とのことでした。本当かどうかは知りませんが、同氏は選挙中、圧力鍋の蓋のない鍋を貧民に与えて、「選挙に勝ったら、蓋をあげよう」と言ったとか言わなかったとか。そんな話に信憑性を与えてしまうのがノボア候補の本質だったといえるでしょう。

◆あと、先の大統領選挙で一つだけ見えてこなかったのが、第3位になったグティエレス候補(今回出馬できなかったグティエレス前大統領の弟)の奮闘ぶりでした。直前の世論調査では4%程度しかなかった同氏の支持率が、最終的には15%近くの得票率を獲得する結果については、自分は最初世論調査会社の誘導ではないのかと勘繰っていました。

◆これについて、親戚に話をすると、「軍だよ」との答え。つまり、今回の選挙で軍に一番近かったのは、グティエレス(弟)候補であり、大統領職を追放されても軍との関係が深いグティエレス(兄)前大統領の働きかけによって、軍中枢よりグティエレス(弟)支持という上意下達の指示が出ていたらしいとのこと。軍人(及び警察)は中立性の見地から投票できないため、その親族が投票マシーンとなって働いた・・・そうです。信じるかどうかはお任せします。

◆それにしても、国際機関の監視の目が働いていたであろう今回の選挙ですが、それは飽く迄表面的な話で、この他にも色々な抜け道の話を聞かせてもらいました。たしかに、それなら捕まらないと思ってしまうようなことばかり。上には上がいるものです。
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