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◆タイトルにある「兄弟」とはアルゼンチンとウルグアイのこと。どちらが兄であり、弟であるかは改めて言うまでもないでしょう。そして、喧嘩の題材は、セルロース工場建設問題。一昨年の12月に両国間を結ぶ道路(結果的に橋になりますが)がアルゼンチンの環境団体が封鎖してから1年以上が経過しています。進展が無いことはないのですが、それぞれ主張が平行線を辿っていて、解決の見通しは立っていません。

◆先々週、自分はアルゼンチン各所を旅していて、その場所で様々な方々と話をする機会がありましたが、必ず出てきたのがこのセルロース問題の話題。ある人は2007年の大統領選を迎えるキルチネル大統領にとってのアキレス腱という表現もしていました(逆にいいますと、それほどキルチネルは安泰ということですが)。

◆この話題が出てくるときに、議論になるのが「何故BOTNIA社(フィンランド資本)はウルグアイ国内のどこでも工場を建設できたにもかかわらず、フライベントスという場所に建設したのか」ということです。結論からすれば、同地にはアルゼンチンを結ぶ橋があり、セルロースの材木を調達するのにロジスティックの観点から恵まれていますし、現在は機能していない鉄道の線路もあり、フライベントス港も川の港としてはそこそこの深さが保たれているなどの経済合理性から判断してものと推測されます。

◆ところが、この経済合理性というものがこの地域ではそれほど機能しないことを今回のケースは証明しているような気がします。まず、問題の発端は、対岸のエントレリオス州知事が環境問題だと騒いだことに始まりますが、これは同知事がBOTNIA社に賄賂を要求してそれを断られ、最終的にウルグアイに工場を建設されたことへの腹いせであることは公然の秘密になっています。更に、その同州知事の私怨に便乗した「環境団体」という名の政治団体が事を複雑にして、セルロース工場が環境に与える影響の程度の話は、いつの間にか「私達は、第三者機関の調査結果を信用しない。要は対岸に煙突の存在する工場があるのが許せない」という感情論になっているのが現状です。

◆このような感情の赴くままに行動することが行動規範となっているのがアルゼンチンらしさなのですが、それらアクターの頭領がキルチネル大統領であり、彼自身もこの行動規範の典型といっても過言ではありません。とにかく、彼は、2007年の大統領選までの間、「強いリーダー」像を維持・強化させるために、ウルグアイに対しては強硬な姿勢を崩す気はありません。アルゼンチンのウルグアイへの要求は「とにかく工場建設を停止しろ」ということです。

◆弟分のウルグアイとしては、アルゼンチンの要求は余計なお世話であり、自国内で進められる海外からの投資をとやかく言われる筋合いはないと心の底では思っています。ところが、この当然の主張について、あまり堂々と言えない弱味をウルグアイ政府は抱えています。それは、バジェ前政権に遡りますが、両国間では国境沿いを流れるウルグアイ川沿岸に工場等を建設する場合には両国が設置したウルグアイ川委員会において了解を取る必要があります。バジェ前政権では、アルゼンチン政府に対して口約束はもらいましたが、正式な了解をもらってはいなかったと言われています。現在、アルゼンチンとウルグアイでは国際司法裁判所でこの点を争点にして闘われていますが、アルゼンチンが訴えている「委員会での了解はもらっていない」という論点については、アルゼンチン側に理があるとも見られています。この結果については、2008年に結審します。

◆わざわざ2008年を待って、両国が行くところまで行ってしまうのが利口なのかという駆け引きがお互い続く中、アルゼンチン政府から昨年11月の時点でスペイン国王を仲介役としてコミットさせるという荒業を使ってきました。ブラジルもベネズエラも及び腰であった仲介役に乗ってしまったスペインも軽率に見えましたが、いずれにしてもその後はスペイン政府がこの仲介の可能性の模索を続けてきました。そして、1月下旬から2月上旬にかけて、ようやくアルゼンチンとウルグアイはスペインにおいて「対話」を行うことを容認しました(この辺り、どこぞの6カ国協議に似ていますが)。

◆なぜこの時期かというと、昨年ウルグアイはアルゼンチンに対して「アルゼンチン国内で行われている道路の封鎖はウルグアイに甚大な影響を与えているため、封鎖を解除すべき」と国際司法裁判所に訴えていたところ、1対14で「ウルグアイには甚大な影響を与えていない」として封鎖解除を却下した時期にあたります。スペイン政府は結果の如何にかかわらず両国に特使を派遣するつもりでいましたが、アルゼンチンの勝訴であったことが問題を円滑化させる可能性を持たせています。アルゼンチンは「名」が欲しく、ウルグアイは「実」が欲しいわけで、両者による協議の始まり方としては好ましいものになっているのかもしれません。

◆ウルグアイ側のワースト・シナリオは2008年の国際司法裁判所における敗訴であり、それによりBOTNIA社工場の停止です。この場合、同社はウルグアイ政府を訴えるでしょうし、その損害賠償は膨大な額に上ることが想定されます(同社の投資額でGDPの10%近くを占めています)。それまでどのような出口戦略を見つけ出すことが出来るのか。まずは、「対話」の開始がどの時点で「交渉」に至るのか。次のポイントはそこだと思われます。
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◆今朝(7日)のウルグアイの主要紙はいずれも「ブッシュ大統領、3月にウルグアイを訪問」と報じていました。どうも当国外務省筋がラジオ局(エスペクタドール)にリークして、ラジオ局の特ダネを新聞各社が後追い記事として書いたのが実際のようです。ウルグアイには政治ネタに強いラジオ局が幾つかあり、エスペクタドールはその一つ。立派なホームページも持っています。

◆今晩になって、ウルグアイ大統領府はホームページで公式にブッシュ大統領が3月上旬にウルグアイを訪問予定と発表しました。正式にはホワイトハウスから発表があるだろうとの但し書きもあるので、恐らく米国の公式チャンネルよりも早くブッシュ大統領の行動を把握することができたようです(苦笑)。

◆ブッシュ大統領の訪問予定先ですが、ブラジル、ウルグアイ、コロンビア、グアテマラ、メキシコとのこと。ウルグアイには3月9日~11日の間のいずれかに訪問すると見られています。訪問先からも分かるように、米国政府は「訪れやすい」場所を選んでいます。コロンビア、メキシコは中南米の中でも数少ない「右寄り」の政権ですし、ブラジル、ウルグアイは「左派」の看板を掲げていますが、実は米国にとって話しやすい大統領がいる国です。戦略的といえば、戦略的な外遊なのかもしれませんが、時期としてはあまりに後手に回りすぎた感が否めず、この歴訪で米国にとって目に見える成果が生まれるとは思えません。

◆ブッシュ大統領のウルグアイ訪問がバスケス政権にとって、吉と出るか、凶と出るのか。確かに、米国の大統領がウルグアイという小国にやってくることは、米国政府が同国の存在をそれなりに認めることであって、バスケス大統領にとっては気分の悪い話ではありません。ただし、この期に及んで何を話をするのかが不明です。一般的に「通商及び投資拡大に向けた話し合い」と言われていますが、やはりタイミングを逸しています。既にバスケス大統領は、昨年9月以降、対米FTAを政治的な禁じ手と見做しています。また、与党内の反米勢力は、更なる米国への歩み寄りは一切罷りならないとした態度を崩していません。当面、両国間では、通商拡大に資する協定の締結等は諦めるしかなく、米国資本のウルグアイ向け投資の活性化に専念するしかないようです。

◆3月に向けたバスケス大統領の課題は、如何に混乱を起こさずにブッシュ大統領の滞在期間を凌ぐかでしょう。与党内の共産党や社会党を中心とした反米勢力が活気付くことは容易に想像できます。アルゼンチンほど過激ではないでしょうけど、そこそこの騒ぎを起こそうとしているのではと思われます。
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◆ご無沙汰していました。またまた、長いことモンテビデオを離れていました。今回の目的地はアルゼンチンで、イグアス(ブラジルだけではないんです)、メンドーサ、そしてブエノスアイレスと訪れていました。その様子は追って書いていこうと思っています。

◆さて、先日発行された在アルゼンチン日本商工会議所の会報に、ウルグアイの夏の観光地について書いた拙文が掲載されたので、これから3回に分けて紹介します。なお、これはアルゼンチン在住者向けに書いたものなので、少しマニアックな内容になっているかもしれませんが、その点はご容赦ください。

1.はじめに

 ブエノスアイレスの対岸に広がる国、ウルグアイ。ブラジルとアルゼンチンの緩衝地帯として独立を果たしてから170年余り。最近のニュースでも、その小国としての悲哀を味わっているように見受けられます(例えば、アルゼンチンとのセルロース工場建設問題)。

 日本の半分の広さで人口340万人の国に何があるのかについて、対岸から休暇を使って既に訪問された方々が多くいらっしゃることを承知の上、恥の上塗りになるかもしれないことへの観念をしつつ、ウルグアイの夏について少しばかり紹介したいと思います。

2.ウルグアイの夏

 ウルグアイの夏は、普段は対岸を見向きもしないアルゼンチン国民からも、一目置かれるような保養地に変身します。マル・デル・プラタよりも近くに適当な温度の青い海が広がり、アルゼンチン国民(ブエノスアイレス市民でしょうが)にとっては、自らの庭同然に、当国最大のリゾート地プンタデルエステにお金を落としてもらっています。参考までに、ウルグアイにやってくる観光客の実に7割以上がアルゼンチン国民であり、観光産業に携わる人々にとっては、アルゼンチン様々といった感じです。

 昨シーズンからアルゼンチンとウルグアイとを結ぶ国境の橋を結ぶ道路が封鎖されるケースが起き、アルゼンチンからの観光客が減少する「被害」が発生していますが、このことはかなり地元の人々に響いています(本当の理由は、ウルグアイ・ペソ高で、橋の封鎖は二次的との指摘もありますが、それはさておき)。今シーズンも既にグアレグアイチュの環境団体が張り切っているので、昨年同様か、それ以上の影響を与えると見られます。

 先日、当地のレストランのボーイと話をする機会がありましたが、彼らにとっても危機がやってきている様子です。その一番の理由がチップ。ウルグアイ政府は、アルゼンチンの観光客減を、ブラジル観光客の増加で埋め合わせていると喧伝し、メディアもその提灯持ちのような記事を書いていますが、現地で働くボーイによれば、「ブラジル人はチップについてはケチだ」とのこと。確かに、プンタデルエステで一ヶ月ほど「生活する」アルゼンチン人の多くはそれなりの資産を有しているのでしょうし、ポルテーニョ特有の性格から金離れが良いのでしょう。その一方で、ブラジル人は・・・というのがボーイ達の小言のようです。実は、ウルグアイ人はアルゼンチン人を愛している。そんな一面が垣間見えます。

3.プンタデルエステを中心としたリゾート地

 ウルグアイの格好のシーズンは1月、特に前半の15日間です。それを象徴するのが不動産の値段です。12月3日付のオブセルバドール紙にはウルグアイの保養地における住居の貸出価格が報じられていましたが、同記事によれば、1月の貸し出し価格が、プンタデルエステ中心地において、安いところで2,500ドルから最高18,000ドルとのこと。需給の結果からそんな価格が出ているのでしょうから、驚く限りです。このように、プンタデルエステの物件の価格が先進国のリゾート地と遜色のないレベルになり、既に不動産を有している本物の金持ち(主にアルゼンチン人)に純化されていっているのが最近の状況です。

 一方で、既に読者の方々は薄々気付いているでしょうが、ウルグアイ国民の多くはそれほどプンタデルエステを利用しません。タクシーの初乗りがモンテビデオよりもプンタデルエステの方が高く設定されているように、国内で一番物価の高い町で1ヶ月以上も過ごすことを彼らは考えていません。大方のウルグアイ国民が選ぶのは、プンタデルエステ以外の「知られざる場所」であり、本稿では、そのあたりを紹介したいと思っています。

4.まず、プンタデルエステを東に行くと…

 プンタデルエステ以外の場所で保養地を求める場合、プンタデルエステを拠点として、東に進むか、北に向かうかという選択肢があります。

 プンタデルエステから東に40キロほど車で走りますと、ラプラタ河沿いにピリアポリスの町が見えてきます。映画『ウィスキー』の舞台としても使われたアルゼンチン・ホテルが存在感を示す「富豪・ピリアの町」です。読者の一部の方々も、映画『ウィスキー』をご覧になったかと思いますが、同作品は「ウルグアイらしさ」を醸し出している名作です。その中で一番の「ウルグアイらしさ」を表現しているのが、実は主人公たちの旅行先がピリアポリスであったところです。質素な庶民の贅沢の対象はピリアポリスのアルゼンチン・ホテルであって、煌びやかなプンタデルエステのコンラッド・ホテルでもコンドミニアムでもありません。2004年の東京国際映画祭のグランプリを受賞した同作品ですが、その奥に秘められた文脈は意外なほど深かったりします。

 ちなみに、ピリアポリス周辺でも家屋を長期に渡って借りることができます。目の前には青いラプラタ川が既に広がっており、波はまったくありません。落ち着いた雰囲気の中で、何をするわけでもなく、ただただ川面を眺めて、日光浴を楽しむ。余談ですが、この界隈には、バスケス政権の幹部の方々もセカンドハウスを所有しているなど、庶民性を売りにする左派政権ならではの話も聞こえてきます(彼らがプンタデルエステとご縁があるように聞いたことはありません)。

5.それでは、北に行った場合は・・・

 北に針路をとる場合、大西洋の海岸の集落を求めることになります。主な保養地としては、ラ・パロマ、ラ・ペドレラ、カボ・ポロニオ、バリサ、プンタ・ディアブロ等々、ブラジル国境に至るまで白浜の海岸に面した集落が続きます。太平洋岸には、サーファーやヒッピー崩れの若者が多いのが特徴で、特にラ・ペドレラはここ数年における若者のメッカになっている様子です。他にも、砂丘の中の集落であるカボ・ポロニオは、車の乗り入れが原則禁止。そこに至るには、車を乗り捨てて、相乗りのバギーを利用しないといけません。また、同地には乗馬のサービスもあり、広大な砂丘を馬で走らせ、灯台の立つカボ・ポロニオの集落を眺める贅沢を味わうこともできます。ちなみに、欧米系の旅行会社にはウルグアイでの乗馬ツアーが存在するそうで、その中には太平洋岸を馬に乗り続ける一日というのもしっかりと含まれています。

6.そのとき首都のモンテビデオは・・・

 ウルグアイ国民の4割が集中する首都のモンテビデオですが、夏になると、地元の人々は既述の観光地に逃避しますし、日本の旅行ガイドではダウンタウンの地図を義理で掲載しているかの程度です。しかし、この3年間、経済は回復したことで街に活気が戻りつつあり、クルーズ船も年間100隻程度はやってくることから、モンテビデオ自身も観光資源を開発しよう努力が垣間見えます。ここでは、その関連イベントを二つほど紹介します。

 まずは、12月3日に行われた「カンドンベの日」です。2006年から始まったもので、国会議事堂前で、アフリカが由来のウルグアイの黒人音楽であるカンドンベを奏でながら、日中はジャマーダという練り歩きが行われ、夜は国民的な人気歌手ルーベン・ラダのコンサートが開催されました。カンドンベは、ウルグアイ国民の10%に満たない黒人による伝統音楽ですが、国民全体にしっかりと根付いており、5拍子のリズムが青空の下で響き渡ると白人の小さな坊やもステップを踏むなど、非常に微笑ましかったです。

 次は「夜の美術館」です。12月7日に開催されました。夕暮れ時の20時からダウンタウンに散らばる美術館や宮殿が一般開放され、多くの市民が集まりました。美術館の中庭や宮殿の広間では相次いで音楽会が開かれ、世界的にも有名なウルグアイ人音楽家が気さくに登場していました。著名人と庶民との間の敷居の低さはウルグアイの美徳です。そして、もう一つの特徴は、これらイベントが無料であることで、本当は娯楽に飢えているモンテビデオ市民をここまで動員させることに結びついています。

 他にも、知られていませんが、期間の長さにおいて、世界で一番長いカーニバルはモンテビデオで開催されています。その期間、およそ一ヶ月。その間は「夏の劇場(Teatro de Verano)」でほぼ毎晩カンドンベやムルガのコンテストが行われます。贔屓のグループなどが登場するときにはチケットの購入が難しくなりますが、普段はそれほど混みません。それも、ウルグアイの特徴かもしれません。

7.おわりに

 ウルグアイでの生活を通じて見えてくるのは、面白い魅力がたくさん潜んでいることです。それらがなかなか外部には伝わらないのですが、それが単に当事者のPRが下手なのか、意図的に隠しているのか、はたまた面倒くさがりなのか。いずれにしても、住めば都とはこのことで、今年もウルグアイの夏を満喫させてもらっています。読者のみなさまも、息抜きとして、この夏、ラプラタ川を越えてみるのは如何でしょうか。

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