バスケス大統領出馬断念の影響

◆今回は長文になりますが、2009年に行われるウルグアイ大統領選挙に向けた動きを紹介したいと思います。

◆ウルグアイの国内政治が6月4日を境に大きく動き出しました。これまでもコラムで書いてきましたバスケス大統領の再選への動きについて、バスケス大統領自身が公の席で自らの大統領職を一期限りで終わらせることをその日宣言しました。そのことによって、ポスト・バスケスの動きが急速に動き始め、場合によっては与党候補の選出に向けた政治闘争を通じてウルグアイ経済の不安定化を招く可能性も含んだものとなりそうです。

◆ウルグアイでは大統領の再選は憲法で禁じられており、過去の大統領もその原則を遵守してきました。例えばサンギネッティ元大統領は1985~1990年と1995~2000年に大統領職を務めてきましたが、そのように間隔を置いた理由には同国の憲法に書かれている再選禁止規定にありました。その意味で、大統領再選の禁止は政治的不文律であり、前政権までは敢えて政治的な争点にされることもありませんでした。

◆そのような政治的な素地があるなかで、バスケス大統領の再選問題が政治課題として擡げてきた理由はいくつかあります。一つは、長年続いた保守二大政党(コロラド党及び国民党)に対して蓄積された国民の政治不信です。2005年に左派政権(与党:拡大戦線)が誕生しましたが、それが決して南米諸国で流行していた左派連合の流れに従ったかのような偶発的なものではなく、同国において長年にわたって国民間に蓄積されてきた慢性的な政治不信の発露にあるかと思われます。従って、次に行われる2009年の大統領選挙でも当然左派連合である拡大戦線が勝利すると見込まれており、その際の大統領が誰になるのかという課題が浮上してきます。

◆理由の二つ目は、バスケス大統領のほかに左派連合の箍をきつく締めることの出来る政治家がいないことです。バスケス大統領は1990年にモンテビデオ県知事としてウルグアイ政界の桧舞台にデビューしていますが、それ以降は現実的なアプローチと通じて、従来のイデオロギー集団としての左派連合から緩やかな政治集合体としての左派連合へとクレンジング(洗浄)を図ることに成功した人物であると見ることができます。彼独特のバランス感覚による左派連合内での権力維持手法は大統領になっても続いており、見た目とはことなる堅実且つ家父長的なリーダーシップを発揮しています。

◆そして、三つ目は、南米諸国の動きです。軍政を経て民主化を達成した南米諸国において大統領の再選は政治的タブーに近いものがありました。大統領の権限の強さを抑止する方法として再選の禁止に求めていたところがあり、その権力の揺れ戻しによる軍政の誕生を抑止することも目的にしていた節もあるかと思われます。ところが、冷戦終了後によるイデオロギー対立の希薄化、更に軍の全般的な影響力の低下を通じて、大統領再選が与える政治的リスクよりも政権安定による経済を含めた安定の強化に目が行くようになり、そのことがブラジル、コロンビア、ベネズエラ等の政治に反映しているものと思われます。現在においてもアルゼンチン及びチリで再選問題が政治アジェンダの遡上に載っていると聞き及んでいます。

◆以上の諸条件が、ウルグアイの憲法が禁止しているのにもかかわらず、再選に向けたバスケス出馬論が消えてこなかった背景と言えるでしょう。

◆ここまでを要約すると、ウルグアイにおける大統領再選問題は、同国の構造的な左派定着化及びバスケス大統領の後継者不在がもたらせたものであり、更に南米諸国の政治文化が後押ししていることを説明しました。そのような前提があったものですから、ウルグアイの大方の政治学者を含めた政治ウォッチャーは、2008年にはバスケス大統領は再選に向けて動き出すものだと思っていた節があります(私自身も含めて)。

◆国民にとっても大統領再選問題については政治的な議題として受け容れる素地があったことを今年4月に行われたCifra社による世論調査で伝えられています。同調査によれば、「大統領再選の可能性について議論すること」に対して58%が賛成と回答し、31%が反対しています(不明は11%)。このように、今年初旬からメディアで騒がれていた同問題は国民の認知するところまで昇華しており、あとはバスケス大統領の心次第という状況にありました。

◆では、6月上旬がバスケス大統領にとって不出馬を決断させるような状況下にあったのかについて、今年4月時点のMORI社の世論調査を紹介しますと、バスケス大統領の支持率は44%であり、不支持率の25%を大きく上回っています。確かに、2006年12月時点の支持率50%(不支持率17%)と比べると悪化しているように見られますが、2006年4月時点の世論調査によれば、支持率44%(不支持率29%)であり、それほど大きな変化(悪化)をもたらせていません。

◆また、4月に行われたFactum社の世論調査ではバスケス政権の2周年に対する評価として、65%が好意的な評価を下しています。内訳としては、10%が「予想以上に良かった」、25%が「予想通りに良かった」、30%「思ったほどではなかったけど良かった」といったものになっています。これは「まあまあ」(20%)や「思っていなかったほど悪い」(8%)、「そもそも期待していない」(7%)を大きく上回るものです。以上のように、バスケス大統領が不出馬を決断させるような状況下にはなかったと考えるのが妥当かと思われます。

◆したがって、6月4日の2009年大統領選挙不出馬の宣言はあらゆる政治アクターに対して衝撃を与えるものであり、今後の政治的な見通しが一気に不透明になる印象を与えました。当のバスケス大統領は、今回の発表は既に周知のことであり、自ら2005年の大統領就任時における議会演説で「この議会において、自ら大統領として行う最初で最後の演説である」と述べています。そのような理由を引用されると確かにそうなのですが、その2005年の議会演説を誰も信じていなかった原因を作っていたのがバスケス大統領当人であったことも事実かと思われます。

◆何故バスケス大統領の2005年の発言が信じられてこなかったのか。それはバスケス大統領の個人的な資質ではなく、純粋に左派連合内において後継者を育ててこなかったことにあります。現在、2009年大統領選挙への出馬が有望視される候補にアストリ経済財務相及びムヒカ農牧相が挙げられますが、いずれもバスケス大統領の腹心という位置づけではありません。上下の関係ではなく、むしろ横の関係。場合によってはライバルでもあります。特に、アストリ経済財務相とは、2000年大統領選挙における党内選挙で共に戦い、2004年大統領選挙でも当時の左派連合の重鎮セレグニ氏(左派連合の創設者)によってアストリ上院議員(当時)を経済財務相に宛てることを了承させられたことで、バスケス大統領は戦わずして左派連合の統一候補となることができた背景があります。

◆ここで余談ですが、バスケス大統領の腹心と言われたいとしてずっとバスケス大統領に尽くしてきたのがニン・ノボア副大統領です。彼としては、バスケス大統領の後継者の位置が変わらない限りは、バスケス大統領が再選しようが辞退しようがどちらでも良かったのでしょう。その点、今回バスケス大統領の不出馬の抱き合わせとしてニン・ノボア後継指名とならなかったところに落胆している可能性があります。メディアでも同副大統領は有力候補から大きく後退しており、実はこのタイミングでのバスケス不出馬の一番の被害者はこの雪駄の雪のように長年ナンバー2として耐えてきたニン・ノボア副大統領ではないかと思われます。

◆ここでバスケス大統領不出馬の影響について書き始めたいと思います。バスケス大統領の不出馬宣言によって、与党・左派連合(拡大戦線)は後継者を誰にするかに関心が移行しています。そして、前回も触れましたが、そのなかで有力視されているのがアストリ経済財務相(写真上)とムヒカ農牧相(写真下)の2名です。

◆まず、アストリ経済財務相の支持母体は党内中道及び中道左派勢力です。左派連合のコップの中で区分けするのであれば、左派連合内の「右」側勢力になります。現在のバスケス政権のマクロ経済運営はアストリ経済財務相を中心に進められており、その舵取りによってウルグアイ経済は回復上昇していると理解されています。バスケス大統領も経済政策について全幅の信頼を与えており、経済面では「バスケス大統領・アストリ首相」という構図が成り立っています。

◆一方のムヒカ農牧相ですが、国民的な人気は高く、彼のカリスマによって所属派閥のMPPは左派連合の最大派閥になっています。左派連合には主に8つの派閥があるなかで、MPPだけで30%以上を占めており、2番目に大きな派閥が15%前後であることからすると、いかに左派連合内では巨大な派閥であり、彼のカリスマがまた大きなことかを確認できるでしょう。ただし、このMPPの中でも小派閥が存在しており、ムヒカ農牧相が属する小派閥はMPP内のマジョリティーをとっていません。この辺りが複雑なのですが、派閥の枠を超えて、ムヒカ農牧相は国民的な人気を有しているとはいえるでしょう。

◆この有力者2名ですが、既に政権発足当時から思想的且つ政策的に対立を見せており、それでもバスケス大統領の下では「大人の対応」を行ってきました。アストリ経済財務相が左派連合内で「右」の勢力を代表していれば、ムヒカ農牧相は「左」又は「ポピュリスト」的な立場からそれら党内の勢力を安全弁になってきました。ただし、緊縮財政を死守するアストリ経済財務相に対して、ムヒカ農牧相は長年国内問題とされている農牧関係者の債務見直しを主張するなど、政治的な課題に対してはそれぞれ異なる主張を述べてきています。他にも、対米FTAが議論されていた際にも、積極的な推進者であるアストリ経済財務相の一方で、米国との接近に対して慎重な姿勢を崩さないムヒカ農牧相がいました。

◆この思想的且つ政策的にアプローチの異なる二人が共存してきた理由の一つがバスケス大統領という調整役の存在です。与党・左派連合の均衡はひとえにバスケス大統領のバランス感覚によるものであったといえるでしょう。ところが、6月4日のバスケス大統領不出馬発言によって、アストリ経財相系及びムヒカ農牧相系の両勢力が2009年大統領選を否応にも意識するようになり、両勢力間の不協和音が加速する可能性があります。

◆バスケス大統領の2009年大統領選挙不出馬表明によって、ウルグアイのメディアは、アストリ経済財務相とムヒカ農牧相の2名が中心となって対決の道を歩んでいくのではないかと見ているとともに、第三の候補が出現するのではないかとも見ています。目下、第三の候補として注目されているのが今年3月に予算企画庁長官に就任したルビオ前上院議員(写真上)であり、この他にもモンテビデオの隣に位置するカネロネス州のカランブラ県知事(写真中)などの名前が出ています。

◆この第三の候補の動きですが、アストリ経済財務相封じが目的と見られています。地元紙の報道によると与党・拡大戦線(左派連合)内では2006年より「反アストリ」を意識した政治的な連携が図られています。連合内では、MPP、社会党、共産党、VAといった主要派閥から構成されており、ムヒカ農牧相がこの連携に深く関与していると言われています。なお、バスケス大統領にも覚えが良いとされるルビオ予算企画庁長官はVA出身、カランブラ県知事はMPPに属しています。

◆第三の候補をどうしても必要としているのは「反アストリ」勢力である事情があります。その理由はムヒカ農牧相の健康問題です。ムヒカ農牧相は既にバスケス大統領誕生当時から健康上問題があるとされており、バスケス大統領の任期の中盤あたりで辞任するのではないかと言われてきました。健康問題を克服したという話は一向に聞きませんし、現在の健康状態では、万が一大統領に当選しても、職務が務まるとは自らも思っていないでしょう。彼にとって好都合であるのは、自らの大統領とはならずに影響力を維持しながら次期政権を運営できることであり、そのためには「代理人」ともいえる第三の候補はムヒカ農牧相にとって都合が良いと考えられます。

◆アストリ経済財務相はその辺りの「反アストリ」勢力の目算が分かっているでしょうから、第三の候補論に組する意思を全く持ち合わせていませんし、2009年には確実に大統領候補として立候補するでしょう。既にウルグアイ国内の報道によると、アストリ経済財務相筋から、同相は2008年のどこかの時点で辞任して、2009年の大統領選挙に備えると報じられています。党内基盤が必ずしも強くなく、党内の交渉では勝ち目のない同相は、既に退路は断っており、ひたすら前進しかない状況にあります。

◆それでもアストリ経済財務相の強みは、これまでの経済実績と与党の枠を超えた支持の高さです。例えば、就任1年後に行われた世論調査では、主要閣僚のなかでは一番支持率が高く、その数字はバスケス大統領のそれを超えていました。また、浮動層と自らを位置づけ信条的には中道から右側の人物にとって、「ムヒカ大統領」の誕生は冗談以外の何物でもなく、その代理人の誕生をも必ずしも好ましいとは思っていません。

◆アストリ経済財務相の秘策は、大統領選挙の前哨戦として制度上行われる党内選挙において、与党以外の浮動層を如何に与党の党内選挙に投票させるかということにあります。大統領選挙の前に各政党は党内選挙を通じて統一候補を選出しますが、その際有権者はどこでも一つの政党の投票を選ぶことができます。左派連合が勝利することが濃厚である2009年大統領選挙を前に、従来コロラド党及び国民党に投票してきた有権者の一部は、「反ムヒカ」の立場からアストリ候補に投票する可能性が大いにあります。アストリは、これら「反左派票」及び「野党票」を頼りに戦い続けることでしょうし、そのためには現在堅持しているIMF等の国際金融機関協調路線や緊縮財政といった政策の転換を図ることは政治的にも有り得ないと理解しても良いでしょう。

◆2009年の大統領選挙は、実質的に与党拡大戦線の党内選挙で大勢が決まってしまう見通しになっています。そして、それまでに与党では政策の対立が現在以上に顕著となり、場合によっては修復不可能の域まで達する可能性も残しています。
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